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相馬野馬追

みなさま

ゆうべから南相馬に来ています。
昨日はここに来る前に、福島市のコーヒー店椏久里に寄りました。
前回のトークの会『福島の声を聞こう』のゲストスピーカー、
市澤美由紀さんに会いに行ったのです。

あの会の時に最後の質問コーナーで、
質問ではなく個人的な意見を行った女性が居たのでした。
講演会などで質問ではなく意見をいうというのは私は的外れな行為だと思いますが、
美由紀さんは「あの後かなり落ち込みました」と言ってました。
そして「一枝さん、第2弾をやりましょう。私はまた行きますよ」と言ってくれました。
飯舘村の声を聞く会を、またいつか計画しようと思います。

そして次回のトークの会『福島の声を聞こう』は、
9月28日(金)19;00〜神楽坂のセッションハウスギャラリーで行います。
ゲストスピーカーは福島の方ではなく宮城県丸森町からお迎えします。
たくさんの方に、ぜひお聞き頂きたいと思っています。
チラシができましたら、改めてご通知します。

さて、今回の南相馬は、相馬野馬追の開催に合わせて来たのです。
被災された方達にとって”ふるさと”とはなんだろうか?
数百年も続く祭事から、そのことを伺い知ることができないかと思ったのです。
線量が高く居住困難地区になっている大原の方で、
騎馬武者になって出陣する人が居ると聞いて、その方に会いに来たのです。
村上和雄さん、一光さん父子です。

和雄さんも一光さんも、野馬追出陣のために避難先から駆けつけたのです。
村上さんだけでなく、野馬追に出陣する人の中には避難先からの方達も多いと聞きました。
衣装も馬も津波で流されて、新たに作ったり借りたりという方も少なくないそうです。
今日は私も朝早くに村上さんのお宅へ伺いました。

2頭の馬に衣装を着けるところから見学させて頂きました。
中之郷、大原の方たち何人かが来て手伝いながらのことでした。
「一年抜けたから忘れちゃったな」などの声も漏らしながら、
甲冑を作る方が“先生”になって若い一光さんに教えながら
2頭の馬に晴れの衣装を着けていきました。
けれども皆さん、衣装付けの順序や紐の結び方
(種類や場所によってそれぞれ変わります)など、
体に染み込んでいるのでしょう。
頭で思い出すよりも手が覚えていたというふうでした。

こういうことを言葉で表すのは難しいですが、
その皆さんのふとした仕草や息づかいに、
また示し合わせてではない呼吸の合い方に、
こんな中にも彼らにとっての故郷がある、と私には思えたことでした。
馬に衣装を着せて部屋に戻ると村上さんの奥さんが
「暑いですね。窓開けられないからね、線量が高いもの」と言って、
お茶をいれてくれました。「測ってみましたか?」と訊ねると「測りません。測ると気になってしまうから」と。

外に出た時に私はそっと測ってみました。玄関先で3.6μSvありました。
馬に衣装を着せていた厩舎の辺りは、きっともっと高かっただろうと思います。

昨年は東日本大震災・福島第一原発事故で開催が危ぶまれたのですが、
震災で亡くなった方々への鎮魂と相馬地方の復興を願って規模を縮小して
80騎での開催だったそうですが、
今年はほぼ例年に準ずる500騎での開催だそうです。
第一日目の今日は出陣式。
村上さん父子や他の中之郷(南相馬市原町区)
の騎馬武者たちは太田神社に集結して参拝と祝杯を済ませました。
12時、炎天下の暑い盛り武者も馬も、
神主さんや神輿の担ぎ手、旗持ち、陣太鼓、それから見物人の私たちも汗いっぱいです。

軍者が旗を振り螺役が法螺貝を吹くと、いざ出陣です。
騎馬武者たちは馬上から「某◯◯役◯◯◯◯はこれにて出陣いたす」
一人一人名乗りを上げて列をなして雲雀ヶ原斎場に向かいました。

この日朝から路上にはそこここに馬糞が落ちていて、
これは数日前からのことだったそうです。
馬も武者も練習のために歩いたりしたのでしょうか。
今日は武者たちは紋付袴、あるいは野袴姿でしたが、
明日は甲冑をつけてのお行列と甲冑競馬、神旗争奪戦です。
さぞや暑かろうと思います。

私はこの祭事は、戦国合戦を模す祭事かと思っていました。
”戦い”ということが主眼の祭事かと思っていたのです。
そうではありませんでした。
元は、名前の通り武者たちが野馬を追って追い込み、
その内の一頭を捉えて神馬として奉納するもので、相馬の地が平安で繁栄するように願っての祭事だったそうです。

現在の様に合戦の意味合いが濃くなったのは、
明治時代以降のことだそうです。
それを知ってまた改めて「明治維新」の光と陰を思いました。
明治維新から原発事故に繋がる系譜を思うなどは、
私の思い過ごしでしょうか?
このことをもっともっと考えていきたいと思った今日でした。

ビニールハウスや畑も全箇所見て来ました。
どこの畑もハウスも、トマトやナス、キュウリ、
カボチャ、インゲン、枝豆、トウモロコシ、などなどが見事に実って、
一部の畑はもうジャガイモを掘り終えた跡に
次に植えたサツマイモの苗が伸びていたり、でした。
こんなに暑い時期ですから仮設の方達は、
いつも朝5時頃畑に行っているようです。
4時半頃に行く人もいるとのことでした。
私が今日行ったのは昼過ぎでしたからもちろん誰もいなくて、
でも真っ赤に売れたトマトを一つもいで畑の水道で洗って食べてみました。
美味しかったこと!

暑い盛りにハウス内でもいだトマトでしたが、
トマトって冷やさなくてもこんなに美味しかったんだ!と感激でした。
畑のお陰で、お年寄りたちが生き生きとしていることなども聞きました。
口の悪い大留さんは
「だってね、前はしなびたジャガイモみたいだった人が
畑をやり出したら新ジャガみたいになってるんだよ」と。
でもまた一方では、まだまだ睡眠薬がないと眠れず
その量も増えていってる人も居ることも聞きました。
それからまた、毎日一組と限らずにお葬式があることも。
これは既に亡くなっていた人のお葬式を出せずにいた遺族が、
ようやく気持ちの整理がついてという場合も多いですが
この時期になってなくなる人もまた、増えてきているようです。

被災地は、まだまだ皆さんの支えを必要としています。
どうぞ、お気持ち添わせてください。お願いいたします。                        いちえ

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