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2012年1月

2012年1月

草原の輝き

日本画の世界の向こうへ

新築された山種美術館に初めて行った。
たまたま親しい友人から、
山種美術館の館長さんの講演があるから行かないかと
誘われて行ったのだ。以前行ったときは、
千鳥ヶ淵の近くにあって、それほど大きな美術館ではないと思ったら、
そこは仮住まいで、今回行ったところは広尾の緩やかな坂道にある、
白い短冊が並んだような美しい大きなビルである。

山種美術館は初代創始者の「相場の神様」山本種二が
1966年に日本橋兜町に開館した日本で初の日本画専門美術館である。
そんな美術館の館長さんだから、
品の良い中高年の紳士を連想していたら、
登場したのは白いスーツを着て、
立ち姿の凛とした女性だった。
それが3代目館長の山本妙子さんである。
東京芸術大学出身で、雑誌などで山種美術館の魅力を書いている。

山種美術館が開く5年前に生まれたから、
美術館とともに生きてきたような若い館長である。
その人が、300人の受講者を前に
「山種コレクションの魅力」を話してくれる。

決してなめらかにどんどん話すのではないけれど、
ていねいに静かに話す。
しかし、何気なく話しているようで、
はっとする言葉が出てくる。

「絵との対話は一期一会です。
その時見た絵は、もう2度とは見られません」
次に見ることがあっても、その時の私ではない。
気持ちも意識も環境も、もうその時の私ではない。

そのことを私たちは、3・11以後、
とりわけ感じるようになった。
だから「絵との出会いを大切にしてほしい」
 私は日本画のいい鑑賞者ではない。
正直にいって、心打たれた絵画はたいていは洋画である。
ゴッホの「星月夜」を初めて見たときの
魂が震えるような衝撃は忘れられない。

絵筆から生まれる強い意志、荒々しいまでのタッチ、
いつまでも目に残る強く鮮やかな色彩。
教科書や図版で見た絵は、
それからは絵でも何でもなくなった。

国吉康雄の描いた酒場の女の目は、
いまだに心をとらえたままだ。
フェルメールの謎も、
ベルナール・カトランの田園も、
モディリアーニの細い首の美少女も、
みんな見たときの印象、
見たときの自分の境遇と一緒に覚えている。

日本画も嫌いではない。
机の前には岡田三郎助の
「あやめの衣」のポストカードが飾ってあるし、
美人画のポストカードもいくつか持っている。
でもやはり、魂に触れるのは洋画だ。そう思っていた。

山本館長の講演が終わるのは夕方6時過ぎ。
美術館はもう終わっている。
しかし、今日はそれから特別に鑑賞会があるのだ。
広い館内にわずか300人である。山種美術館のベストコレクションを
こんなにゆっくり間近で見るチャンスはめったにない。

そして、閉館するまでのその1時間は
忘れられない時間になった。
日本画の色彩、繊細さ、存在感、
絵に表現され隠された物語たち…。

知らないということは恐ろしくも恥ずかしい。
ここではある1枚の絵についてだけ書いておきたい。

「京都は今描いといていただかないとなくなります」
川端康成にいわれて昭和43年(1968年)に描いた
東山魁夷の「歳暮る」。
大晦日の京都。雪のしんしんと降る京の町家。
ああ、青一色のその絵、その光景、その情感も魂も、
この絵の世界に住んでいる私たちにしかわからない。
私は立ち尽くしているだけだった。

こうして私は、年嵩ばかり重ねた、
日本画の入門者になってしまったのだ。

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