ようこそ、フォーラム色川のホームページへ

2012年11月

2012年11月

草原の輝き

岸惠子を追いかけて

1957年、戦争が終わって12年の昭和32年、
日本でもっとも有名だった女優が単身フランスに渡った。
フランスの映画監督イヴ・シャンピと結婚するためである。
当時まだ海外旅行は自由化されていない。

超人気の女優を外国の映画監督なんぞにとられて、
激怒して「毛唐に身を売った女」などと、
今では通用しない罵声を浴びせたメディもあったという。

女優はフランスで、蝶よ花よお姫様よと
お人形のように可愛がられてめでたしめでたし。
というわけではなかった。
十数年後、彼女は、いくつかのテレビのレポーターとして活躍することになる。

しかしそれは、テレビの前で誰かに書いてもらった
台本通りのセリフを言ってニコッと笑って
ハイ終わりの日本のおバカなタレントではなく、
自分で企画し、自分で体験し、自分で台本を書く仕事だった。
 

ときどき里帰りする日本では、まだ女優としての仕事が多く、
わたしたちは彼女のことを女優としか思っていなかった。
しかし、彼女は女優として以上に、
ジャーナリストとしての鋭い視点の仕事を確実に進めていた。

わたしたちはそれを、
彼女がエッセイストとしての賞を数度受賞して、
それを読んではじめて知ることになる。
いや、読んでもなお、彼女がどんな視点で書いているか、
その視点をどのようにして自分のものにしたか理解しないままだった。
 
ところで、わたしたちは世界地図をどう学んだか。
太平洋の大きな海を真ん中に、東にアメリカ、西に日本、
そして西方にアジアが広がり、さらにはるか西方に中東・中近東、
そしてヨーロッパ、アフリカがある。

しかし、地球儀を回すまでもなく、
世界地図はそれぞれ中心が違う。
ヨーロッパから見れば、
日本は「Far East」である。
日本とアメリカが中心の世界観では、
いま世界で起きていることの本当の姿を
半分以上見ていないことになる。

 
わたしたちが話題にしている女優は、
そのヨーロッパで50年も、
文化の香りを日々身に受けながら過ごしてきた人である。
しかも、彼女は渡仏早々から、イヴ・シャンピの邸宅を訪れる
フランスの超一流の知識人たちと交流してきた。
アンドレ・マルロー、ジャン・ポール・サルトル、
ジャン・コクトー、イヴ・モンタン…。
夫の映画監督イヴ・シャンピそのものが、
かつてのド・ゴール将軍の反ナチスレジスタンス組織
「自由フランス」に身を投じた反骨の知識人だった。

ヨーロッパの知性にもまれながら、
日本の女優は確実に知性の花を開き、
国際感覚を身につけていった。
「毛唐に身を売った」などと罵倒した人が生きていたら、
恥ずかしくて窓から飛び降りるほどの知性を。

その成果を追っていこう。
彼女が身に受けたヨーロッパ的知性や文化、
そしてイスラエルやパレスチナや
イランやアフリカで体験し獲得した視点。
それをわたしたちも追体験し、獲得できないだろうか。
 
これがいま、わたしたちが進めている
「岸惠子はいかにして国際的ジャーナリストに変身したか」
プロジェクトのテーマである。
その成果については、いずれまた。

岸惠子

a:2173 t:1 y:0

  

powered by Quick Homepage Maker 4.85
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional