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2012年6月

草原の輝き

美しい村には誰もいない

農家に嫁にいった。
大学を出て農業改良普及員として行った先の
研修会で出会った実直な農家の長男に、
車を追突されてむち打ちになったら、
親切に介抱され、そのままずっと介抱されることになってしまった。

農業を手伝っても、農家の嫁には給料がない。
お嫁さんに給料を払わない農家ではお嫁さんは来ない。
ずっと言ってきたが、変わらない。
このままではだめだと、
自家焙煎のコーヒー店を開店した。

まわりは田や畑や山ばかりで、農家しかない。
信号だって村に2つしかないところでコーヒー店を開くなんて、

「あの家の嫁は気が狂った。
こんな田舎にコーヒーを飲みに来る奴がいるか!」
でも、ヨーロッパの田舎では、地元で取れたものを料理した店や
美味しいコーヒー店があって、人びとが集まっている。
ここだってできる。
夫は、「あんたの人生だからあんたの好きにしろ」と言ってくれた。

しかし最初のうちは午前中は
毎日40キロ離れたところから通ってくれるお客一人しかいなかった。

それから20年。
今では自家焙煎コーヒー、パン、
ケーキがおいしい喫茶店として評判になり、
100キロ離れた人が車で来てくれる。

家の後ろの山の南斜面に1200平方のブルベリー農園をつくり、
ジャム工場もできて、従業員も何人かいる。
裏山で野菜は何でも手にはいるし、
店の目の前の風景は、
空が広く田畑や里山がずっと広がる。
夏は蛍が乱舞して、
まるで天国のような美しさ。

こどもたちは、みんな3キロも離れた学校へ歩いて通う。
冬は地吹雪の中を歩いて行き、地吹雪の中を泣いて帰ってくる。
でも、みんなそうやって育っていく。
その故郷をこどもたちは大好きで、
おばあちゃんたちも大好きだ。
テレビでも美しい里山の地として取り上げられたほど豊かな村だった。

それが3月11日にすべて失われた。
放射能でそこに住めなくなったのだ。
福島原発から40キロ離れているし、
原発がおかしくなるなんて誰も思わなかった。
でも、人口6000人の村の道路を
毎日ものすごい数の避難する人が通り過ぎて行くし、
村の水は飲めないとわかって、村を離れた。
 もうそこは人が住めない土地になってしまった。
あの美しい村には2度と帰れない。
酪農の何百頭の牛たちはひからびて死んでいき、
ベリー畑は700ベクレルの放射能で
どんなに美味しくても人は食べられない。
村にはいま人の影もないけれど、あの美しい風景はそのままだ。
高濃度の放射能以外は。

1年3ヶ月過ぎても、村の人びとの多くは、
避難先でこれからの人生をどう生きるかわからないでいる。
一時金をもらっても、大切なのは
これからずっと生活していくための基盤が必要なのだ。
それをどこでつくれるのか、まだわからないままだ。
いつか帰れると思いたいが、帰れるよという人は、
村に行ったことのない人ばかりだ。
 国は終息宣言をした。どこが終息したのだろう。
あんな事故を起こしたのに、
あまりに不誠実で不透明な東電も国も、
わたしたちは信じられない。

いまはようやく福島にコーヒー店を開いて再出発した。
でも、あの美しい飯舘村には2度と帰れない。

飯舘村

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