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2012年8月

草原の輝き

国境の向こうに待っていたもの

1938年、昭和13年の冬、雪深いカラフトの日ソ国境を
2人の男女が越境してソ連に亡命した。
一人は大女優・岡田嘉子、
一人は新劇の演出家・杉本良吉。
当時世間を驚愕させた
「愛の亡命事件」である。
いまから74年前のことである。
もう当事者は世を去り、
関係者もほとんど生きていないが、
わたしはずっと気になっていた。
彼らはなぜ国境を越えたのか。
国境の向こうで彼らを待っていた運命は何だったのか。

 そのころの日本は昭和12年7月7日に始まった
日中戦争が本格化して、
戦争を進めるためにすべてが統制・弾圧され、
やがて、映画や演劇の事前検閲、長髪やパーマネントに禁止など、
暗い時代へと駆け下っているところだった。
 杉本は若い演出家としては評価が高かったという。
治安維持法で逮捕された経歴があるため、
憲兵の目をいつも警戒し、
しかも彼や彼の仲間がつくる演劇は、
厳しい検閲と弾圧の中で、自由な表現どころか、
生活できないほど仕事の道を閉ざされつつあった。

 岡田嘉子は、有名な女優だったが、
やはり思うような演劇活動ができず、
杉本の斬新な演出や考え方に共感し、
二人の間には深い愛情関係ができていた。
「ソ連に行けば世界的名演出家メイエルホリドに会える。
彼の元で新しい演劇活動をしたい!」
杉本のこの渇望を岡田嘉子も共有し、
2人とも夫や妻のいる家庭やすべてを捨て
カラフト国境を越えた。

1月3日、越境は成功した。
しかし、彼らを待っていたのは、
成功の甘き香りではなかった。
ソ連邦ではまさにスターリン粛清の真っ最中。
犠牲者何千万人ともいわれる粛清の嵐。
しかも粗野な独裁者スターリンは
前衛的演出家メイエルホリドを嫌っていた。
 越境した日本人がメイエルホリドに会いたいと言っている。
これほど都合のいいことがあるか。

「日本人はスパイに違いない。そう自白させてしまえ!」
 こうして杉本は凄まじい拷問の末、
「自分は日本の警察のスパイで、
メイエルホリドに連絡をつけに来た」と「自白」させられた。
 社会主義ソ連に夢を抱いた杉本良吉が、越境の翌年秋、
メイエルホリドと同時期に銃殺されたことがわかったのは、
50年後の1989年のことである。

 岡田嘉子はどうなったか。
彼女は戦後も生き延びて、
1972年、34年ぶりに日本の土を踏んだ。
戦後のソ連で、越境以来の夢であった演劇の演出も
ソ連で実現している。

しかし彼女も、杉本良吉の運命は知らなかった。
釈放後、ソ連南部の地方都市で人びとに愛されて過ごし、
戦後モスクワの劇場で演出をしていた。

彼女の口から聞く物語は、
女性の強さしたたかさを感じさせたろうか。
わたしたちは、実は彼女が地方都市ではなく、
ラーゲリ(強制監獄)で長期間過ごしていたことを知っている。
彼女の死後、それらの事実は明らかになったのだ。
彼女は死ぬまで一切そのことを口にしなかったが、
ラーゲリでの生活がどんなだったか、想像は容易にできる。

しかしそれでもわたしたちは、
不死鳥のように復活して、
何十年前に雪の国境で誓った夢を実現した
岡田嘉子のしたたかさあでやかさを、
讃えずにはいられないのだ。

岡田嘉子

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