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2012年8月の一枝通信

2012年8月の一枝通信

2012.8.8

みなさま

日帰りで南相馬へ行ってきました。
先日の相馬野馬追の騎馬武者、
村上和雄さんにお話を伺いにいったのです。
野馬追の時にはゆっくり伺うことができず、
それで今日あらためて伺ったのでした。
野馬追のことも伺いましたが、
原発事故後のことで伺ってきたことをご報告します。

以前は一家8人で暮らしていました。
村上さんのお母さん、村上さん夫婦、息子さん夫婦と3人の孫です。
「孫と『川』の字になって寝てたんだよ」
今は3カ所に別れて、離ればなれの生活です。
村上さんと奥さんは原町区の借り上げ住宅、
息子さん一家は山形県へ、
お母さんは介護施設に入られたそうです。

「家族がバラバラになってしまったというのが、一番悔しいな。
あのうちにはもう戻れないだろう
。息子たちは住ませられない。
自分たちが戻ったとしても、それで終わりだ。
おふくろを最後まで自分らが看てやることもできない。
借り上げ住宅は狭いからね」

「春は山菜採り、秋は茸狩り、そんな楽しみや、
夏は孫たちと打ち上げ花火したり、
野馬追の時には近所の”野馬追仲間”と盛り上がったし、
そんなこともみんなできなくなってしまった」
原発に奪われた土地、原発に奪われた家族の温もり、
原発に奪われたささやかな楽しみの数々。
たとえ賠償金が支払われても、
それらかけがえのないものはもう二度と戻らない。
そんな悔しさを、東電の幹部や政府はわかるだろうか?

村上さんの話を伺った後で、
現地ボランティアの荒川さんと一緒にビジネスホテル六角へ行きました。
六角には現地ボランティアの野本内さんも来ていました。

野本内さんが言います。
「この間、栃木の方へいく用事があって行ったんだけど、
田圃の稲がだいぶ伸びててね。
カエルの声が聞こえたんだよ。
しみじみ聞いたよ。
あ〜、今はカエルの声が聞こえてくる季節だったんだってね。

南相馬では、季節感を感じられなくなってしまった。
田圃がないんだから。
それで家に帰ってから、東電に電話したんだ。
季節が無くなってしまうという感覚を、あなた方は判りますか?ってね。
答なんかないよ。申し訳ありませんって言われたって、
それだけのことだもんね。
むなしいよね。
セミの声も聞こえないよ」
すると荒川さんが言いました。

荒川さんは小高区で農業をしていましたが家も畑も流されました。
「私もいつも思うんだ。あ〜今頃だったら苗植えてたなとか、
今は草むしりに忙しい時期だったなとかね。
そう、今年はセミの声は全然聞かれない。
だって除染で木の表皮を剥いだでしょ。土の表面けずったでしょ。

セミの声は、今年は全然聞いてないよ。
いつもだったらここでもうるさいくらい聞こえるのに」
大留さんも
「そうだよ。今頃は夜になると、
ここのガラス戸にアマガエルが何匹もピタッと張り付いてたの。
虫を食べに来るんだよね。
 それが今年は一匹も見ない。アマガエルもいないんだよ」
みんなの話を聞きながら私は、
去年の秋にスズメを全く見なかったことを思い出していました。
スズメはそれからだいぶ経って晩秋に何度か見かけましたが、
冬が過ぎて今年はまたほとんど見なくなりました。

カエルもセミもスズメも放射能に被曝して
いなくなったわけではないでしょう。
でも、原発事故で撒き散らされた放射能が、
彼らを南相馬から消してしまったのではないでしょうか?

帰りのバスの発車時刻までまだ時間があったので、
六角支援隊の畑を見に行ってきました。
ちょうど夕立が上がった後で、
どの畑にも何人かの人が出てきていました。
押し車で来ていたおばあさんは、
よく実のいった枝豆を一本根ごと抜いて
「ほら、いいのができたでしょ」
と嬉しそうに見せてくれました。

また別のおばあさんは、
頭の尖った三角のキャベツを
「ほら、これは美味いよ」と根元から切って
私にお土産にと持たせてくれました。
ビニールハウスではトマトが赤くおいしそうに熟れていて、
そのトマトもお土産に頂きました。

畑であった皆さん、
どなたも本当に良いお顔をしていました。
朝起きて、行く場所がある。
今日、する仕事がある。
それがこんな良い表情を作るのでしょう。

皆さまの支援で畑は5カ所、
そこにビニールハウスは全部で4棟建ちました。
一カ所の畑にはビニールハウスがないので、
秋までにそこにも一棟建てたいと思っています。
どうぞ、引き続きのご支援をお願いいたします。
___________________________
◎ゆうちょ銀行から振り込む場合
 記号;18220
 番号;5137881
 名前;ゲンパツジコカライノチトカンキョウヲマモルカイ
◎他の金融機関から振り込む場合
 店名;八二八(読み ハチニハチ)
 店番;828
 預金種目;普通預金
 口座番号;0513788
 名前;ゲンパツジコカライノチトカンキョウヲマモルカイ
______________________________

原町駅前から福島行きのバスは、
夕方6時10分定刻通りに発車しました。
南相馬市内を抜ける時に途中で
荒川さんの生まれ育った家の前を通り、
大原で村上さんの家の前を通ります。
飯舘村に入ると、菅野さんの家の前を通り、
市澤さんの店の前を通ります。
知った人の家を見ながら、
するとそこはもう私に関わりのない土地ではなく
私にも大切な場所であったと思うのです。
暮れなずんだ空の下で、
灯の点かない家々がただ沈として建つ飯舘村。
ヤマユリの白、ムクゲの白だけが浮かんでいました。

南相馬や飯舘村、
他にも福島や宮城で話を聞かせてくださった方達の声、
フクシマの声を、
私は今週の金曜日にも官邸前で叫ぼうと思います。                                        
いちえ

a:2280 t:1 y:0

2012.8.11

みなさま

今日も官邸包囲デモに行ってきました。
今日の立ち位置は、国会議事堂の正面左側。
ファミリーブースが近かったせいか、
前を通る人に子供連れが多かったです。
原発反対デモは、本当にいろいろな年齢層、
さまざまな立場の人たちが集まり、
また家族連れやカップルも多いのが、
これまでのどんなデモとも違っていますね。
命と直結する問題ですから、問題点を頭で考えるよりも、
理屈ではなくお腹のそこからの「NO!」が行動に現れるのだと思います。
                                              いちえ
******** お 知 ら せ ******************

◎信州発産直泥つきマガジン『たぁくらたぁ』27号
最新号が発売されました。今号の特集は
「原発 再稼働を許すな!デモに行こう」です。
いつもながら、読み応えのある小雑誌です。

グラビアに報道写真家、石川文洋さんの「ベトナム・オキナワ・フクシマ」
特集記事は東京、長野、大飯原発前の各地のデモと参加者の声
「福島健康調査プロジェクト」からの報告記事も、
じっくりと読んで欲しい内容です。
お求めは下記へ。定価は400円です。
たぁくらたぁ編集室」(オフィスエム内)
Tel;026−237−8100
info@o-emu.net http://o-emu.net/

◎渡辺一枝トークの会「福島の声を聞こう!vol.3 
日  時;9月28日(金)19;00〜(開場は18;30)
場  所;セッションハウスガーデン(東京都新宿区矢来町158 二階)
参加費;1500円(被災地への寄金とさせて頂きます)
申し込み;セッションハウス企画室 03−3266−0461
http://www.sesshion-house.net/Ichietalk.html

 受付開始;9月10日から
「福島の声を聞こう!」のタイトルで始めたトークの会ですが、
今回は宮城県南の丸森町からゲストスピーカーを迎えます。
丸森町も福島に準じて放射線量の高い地域です。
東京からIターンで当地に住んで17年になる
太田茂樹さんにお話し頂きます。

a:2280 t:1 y:0

2012.8.29

みなさま

昨日は信州の白馬へ行ってきました。
ちょうど一週間前に行った丸森ヒッポで見た田圃では、
穂は葉の間に隠れて一面の緑でした。
昨日の安曇野は稲穂は重く垂れて、
もう黄色く色付いていました。
そして白いそばの花がちょうど盛りで、
実りの秋を迎えていました。
長野県にも福島から避難している方達は多く、
大熊町の木村紀夫さんもそのお一人です。
白馬で長女の舞雪(まゆ)さんと二人で住む、
木村さんをお訪ねしたのです。

木村さんの家は原発から7キロ地点の大熊町で
すぐ目の前が海だったところにありましたが、
津波で家は流され、お父さんと奥さんを亡くされました。
次女の汐凪(ゆうな)さんは、行方不明です。

3月11日地震が発生したときは。
木村さんは職場の養豚所にいました。
3mの津波の報は聞きましたが
木村さんも同僚たちも
「この古い建物が潰れてないから
地震でも我が家は大丈夫だろう。
高台に建ててある家だから津波も免れるだろう」と、
養豚所の床が落ちて糞尿にまみれた豚を救い上げることに夢中で、
体を洗ってやるのは明日にしようと
全頭を引っ張り上げて家路をたどったのは夕方だったそうです。

家の前50mあたりから瓦礫の原で、
木村さんの家は土台を残して流されていました。
避難所に行くと舞雪さんとお母さんの巴さんがいて、
お父さんの王太郎(わたろう)さんと妻の深雪さん、
次女の汐凪ちゃんの姿が見えず、
他の避難所を探しましたが3人は居ませんでした。

木村さんは翌朝すぐに3人を捜しに出たのですが
10キロ圏内避難指示が出て、
留まって探すことが許されず、
13日には捜索活動は中断され、
再開されたのは4月24日でした。

この間に捜索されていたら、
助かった命も少なからずあったことでしょう。
お父さんが見つかったのは4月29日、
自宅からわずか100m離れた田圃だったそうです。
「親父は、原発に息の根を止められた」と、
木村さんは言います。
深雪さんは4月10日、
いわき市の沖合5キロの海に浮かんでいたのを
警視庁の捜索ヘリコプターに発見されました。

木村さんは深雪さんの遺体が安置されていた場所を
二度訪ねていたのですが、深雪さんとは判らなかったのだそうです。
遺体は荼毘に付され遺骨のDNA鑑定によって、
木村さんは6月2日に深雪さんの死を確認したのです。

ただ一人、汐凪さんだけが見つかっていません。
先週の土曜日8月25日は
汐凪さんの九回目の誕生日だったそうですが、
この汐凪さんの仲良しだったお友達に
声をかけて集まってもらったと言います。
木村さんは海の見えた土地から白馬の木立の中に移り住み、
長女の舞雪さんと暮らしています。

若い頃に旅を重ねた体験を活かして、
ここでペンションを開くつもりで準備しています。
”汐凪と共に生きていく”と、
瓦礫の中から見つかったり友人や先生が寄せてくれた写真で
写真集『汐凪』を自費出版しました。
印税と売り上げの一部を「あしなが育英会」に寄せ
「汐凪基金」にするそうです。

写真集の中の汐凪ちゃんの明るい笑顔や描いた絵に、
7歳で消えてしまった少女が今も生き生きとそこにいるようです。
舞雪さんは学校に行っている時間で会えませんでしたが、
知った人のいない土地で
学校に通う6年生の少女が私は気にかかります。

舞雪さんは昨年3月15日から
1年間は深雪さんの実家の岡山で過ごし、
小学校も5年生の一年間は岡山の学校に通っていました。
この4月から白馬南小学校に通っています。
岡山にいた時におじいちゃんやおばあちゃんに
「震災のことで泣くのはもう止めよう」と、
自分から言ったというのです。
だから木村さんも舞雪さんが泣くのを
見たことがないと言うのです。

さすがに深雪さんが発見された時には「大変だった」(木村さんの弁)
そうですが、10歳の少女がどんな思いで「もう泣くのは止めよう」
といったのかを考えると、とても胸が痛いです。

原発さえなければ、津波被災者の捜索は夜を徹しても行われたかもしれない。
翌日も翌々日も行われていたでしょう。
あるいは深雪さんも汐凪さんも、王太郎さんも、
助かっていたかも知れません。

いつか木村さんの話を皆さんにも聞いて頂きたいと思っています。              
次回のトークの会『福島の声を聞こう』は
宮城県丸森ヒッポの太田茂樹さんにお話し頂きます。
9月28日(金)19;00〜です。ご案内添付しました。     
皆さまのおいでをお待ちしています。                       

いちえ 

9月28日の「福島の声を聞こう」詳しくは下記から                    

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