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2012.12.19その2

2012.12.19その2

みなさま

16日に南相馬の駅に迎えに来てくれたのは現地ボランティア「六角支援隊(原発事故から命と環境を守る会)」の荒川夫妻でした。
陽子さんが着ていた赤いフリースの上着が、私より8歳ほど若い彼女にとても良く似合っていました。
「きれいな赤ね。よく似合う」と私が言うと、「なんだかこの頃ストレスが溜まってんのかなぁって思うけど、鬱っぽくて、それで気分を変えようと思って着たんだ」と、答えが返りました。
現地ボランティアの牽引役の大留さんを支える左右の腕が、この荒川陽子さんと鈴木時子さんです。
荒川さんの家は小浜の海岸縁で、津波被害を受けました。
家族はみな無事でしたが、以前は3世代5人家族で暮らしていたのですが、今は3カ所に分散して暮らしています。
福島市内に勤め先がある息子は会社の寮で暮し、嫁と孫は避難先の東京でアパート暮らしです。
陽子さんと登さんは、南相馬市内の借り上げ住宅に愛犬と共にいます。
荒川さんは自身も被災者でありながら、現地ボランティアとして支援物資配給や、ビニールハウスと畑の作業、その他毎日ボランティア活動に忙しく過ごしてきました。
私は月に一度か二度現地に行くだけですが、その折に見ていてさえも、本当に六角支援隊の皆さんは自分のことをする暇もないくらいに被災者支援に奔走している毎日なのです。
陽子さんが言ったことがあります。
「ボランティアしてるから、こうして元気でいられるんだ。これがなかったら、気分が落ち込んでどうにもならないと思う。だけど息子がこの間言われたんだって。親がボランティアしてるって言ったら、”へぇ〜、家がなくなったって、ボランティアするような余裕あんだな”って。そうじゃないんだけどね。畑もなくなっちゃったし、やることなくなっちゃったから、気持ちに余裕なんかなんにもないんだけどね」
自宅の在った場所は居住制限区域になってはいませんが、この先をどうするのかまだ考えることができずに居る陽子さんです。
息子達はもう元の場所に住む気はないと言うし、親戚達は実家の在った場所を残して欲しいと言う。
自分たち夫婦は、息子達と一緒にどこかへ移ってそこで新たな生活を始める気力は湧かないと、悩んでいる毎日です。
被災直後の避難生活の頃から今も、睡眠役と精神安定剤を服用していますが、これまでの疲れも出ていると思いますし、なによりも先が見えないことが一番大きなストレスの原因になっているのでしょう。
正月が過ぎて被災から丸2年を迎える3月、現地の人たちの抱える心の重さはどんなでしょう。

クレヨンハウスからの絵本を配りに鹿島区にある仮設住宅を廻りましたが、小池第3の世話役の蒔田さんは座骨神経痛が痛んで腰を曲げ足を引き摺るようにしてやっと歩いていました。
皆さんからのご協力でズボン下を贈ったのも、昨年のこの時期のことでした。
ますます寒さが厳しくなってくるこれから、案じられることばかりです。
上原さんのおばあちゃんは、昨年末にご主人が亡くなってからだんだんに引きこもるようになり、認知症の症状が出ていましたがなお一層酷くなっているようです。
大留さんに会っても、まったく判らないそうです。                              いちえ

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