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2012.12.20

2012.12.20

みなさま

17日の早朝、小浜の海べりを歩きました。
原発から20キロ圏内のエリアは、まだ津波の後も生々しく残っています。
それでも夏頃よりはだいぶ瓦礫も片付けられていますが、地盤はかなり沈下していることが判ります。
田圃だったところは、地中に埋めてあった給水パイプがむき出しになって、虚空に手を伸ばしたように出ていました。
そして干潟のように、海水が浅く残ったままで田圃の面影はありません。
その水面に白鳥が数十羽、鳴き交わしながら浮いていました。
道の端には、牛の顎の部分の白骨が転がっていました。
すっかり乾涸びた牛糞が一つ、叢にありました。
雨が降れば流れてしまうものでしょうに、こうして残っているところを見れば、そう古いものではないのかもしれません。
まだこの辺りに、はぐれ牛が彷徨っているのかもしれないと思いました。

宿に戻って朝食の後で何人かの方に会いましたが、誰もが一様に、選挙の結果に愕然としていました。
「経済よりも、命だろうが!」と、漁師さんの言葉です。
この方は3月11日、地震の後で橋の方を見たら白い波が橋を呑もうとしているのを見て「津波だ」と思い家に戻ってバイクで逃げました。
バイクのエンジンがかかった時には、津波が背後に迫っていました。
そのまま逃げ切りましたが「俺のバイクは時速40キロだから、津波の時速も40キロだったんだ」と言っていました。
息子さんも漁師さんで、息子は船で沖に向かったが波の高さは船の全長と同じだったそうです。
津波を乗り切る時に、船が垂直に立ったと、言いました。
父子とも辛くも逃げ切り、家族は全員無事で今は中古の家を買って住んでいるそうです。

この日は相談事があって、鹿島区の勝縁寺のご住職にお会いしました。
ここでもまた、震災当時のお話をたくさん聞かせて頂きました。
予定ではもう一泊南相馬で過ごすつもりでしたが、用事もすべて早くに済んだので、17日に帰宅しました。
家に戻って新聞を読み、選挙の結果に改めて暗澹とした思いになりました。
けれど、落ち込んではいられません。
むしろ、闘いはこれからなのだと思いました。                      いちえ

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