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2013年2月の一枝通信

2013年2月の一枝通信

2013.2.6その1

みなさま

昨夜から南相馬に来ています。
長沼仮設住宅で講師をお招きしての講演があり、
それに付随しての移動喫茶のために来ました。
講師は、佐久大学講師(看護学)、元長野大学教授、
元佐久総合病院健康管理センター婦長の横山孝子さんと
環境学者の関口鉄夫さんです。

横山さんは佐久総合病院で、
若月俊一医師らと農村の予防医学に取り組んで、
長野県を日本一の長寿県にした人です。
昨年11月始めにも関口鉄夫さんの講演会&移動喫茶を、
仮設住宅で持ちました。
その時の関口さんは、『わかりやすい放射能の話し』
というタイトルで話して下さいました。

その講演会が済んだ後で、
「今度は仮設に住むお年寄りたちに
健康面で気をつけた方がいい事や、
心がけなどの内容での講演会をしよう」
ということになったのです。
そして講師の人選を関口さんに相談したところ、
横山さんを紹介下さって、今日の運びとなりました。

前回は2カ所の仮設住宅でそれぞれお話しできたのですが、
今回は講師のご都合で6日の午前中1回の講演会でした。
朝から雪が降っていましたから
参加者は少ないのではないかと案じましたが、
30名ほどの参加がありました。

横山さんは佐久総合病院での老人医療の経験から、
「一人きりにならない、しない、させない。
寝たきりにならない、しない、させない」が大事。
そのために行政が何かしてくれるのをただ待つのではなく、
自分たちから積極的に働きかけて
行政を動かして行く事の大事さを話されました。

関口さんも
全国各地で公害問題にとりくむ住民たちの相談を受けてきた体験から、
「黙っていたら行政はなんにもしてくれないよ。もっと声を出そうよ」
と呼びかけられました。

参加者からこのまま仮設での暮しがいつまで続くのか
先が見えない事への不安や、
「除染よりも復興住宅建設を」と言う声も出ました。
今日は市会議員の田中京子さんも出席していて、
参加者からは「次回はもっと多くの議員さんに参加して欲しい」
との声も上がりました。

今回は、横山さんは長野での取り組みを話されたので、
六角支援隊で当初考えていたような内容とは少しずれましたが、
こうした会を重ねて行くことで
仮設に暮らす被災者たちが
自ら動き出して行くきっかけが作れたらいいなと思いました。                 

いちえ

2013.2.6その2

みなさま
前便①の続きです。

午後、私は千倉の仮設住宅で小高区から避難している
松本正枝さん(75歳)から、お話を聞きました。
ご承知のように小高区は原発から半径20キロ圏内にあり警戒区域で、
昨年4月15日まで立ち入りが禁止されていました。

4月16日に警戒区域解除になって、
日中は自宅に戻ることができますが
夜間は立ち入ることができませんし、
泊まる事もできません。
その小高区の町中に在る自宅は、
地震の被害も無く無事だったそうです。
小高区に住んでいたときは家族は5人。
正枝さんと娘夫婦、23歳の孫娘と高校2年生の孫息子、
猫2匹で暮らしていました。
1人娘だったので婿養子を迎えて娘夫婦は、
自動車修理と中古車販売店と自営していました。

孫娘は信用組合の大熊町支店に勤務、
孫息子は小高工業高校に在学していました。
2011年3月11日、
その夜は余震もあったので家族は車で夜を明かしました。
12日に川俣町に避難してその晩は車中で過ごし、
13、14日は避難所になった
川俣町の小学校の教室内で過ごしました。
千葉に住む娘婿の友人が、
早くから千葉に避難してくるように誘ってくれていたので
15日に千葉に行き部屋を借りて住み始めました。

孫娘は大熊町の支店だったので被災後失職かと案じたのですが、
5月に職場から連絡があり原町区の支店勤務になったので、
原町区に戻りアパートを借りて1人で暮らし始めました。
孫息子は4月から春日部工業高校に編入してそこを卒業し、
現在は千葉の工業大学に在学している。大学の寮に入っている。
正枝さんは8月に仮設住宅に入り、
娘夫婦は孫息子が高校卒業するまで千葉で過ごしました。

現在はこの仮設に娘夫婦と正枝さんの3人と、
2匹の猫で住んでいます。
たくさんの事を聞かせてもらったのですが、
孫たち二人ともそれぞれの道を進んでいるし、
娘夫婦も原町区に店を出して営業再開したということで、
正枝さんは、「私は恵まれてると思ってます」と言います。
「ここに居て幸せ」とも言います。

「集会所でいろいろな事を教えてもらって、
手芸をしたりヨーガをしたりしてるし、ここで友達もできたしね。
こういう暮しになって、前には持った事が無かった携帯電話も
持って使えるようになったし、この間はデジカメ教室があって
そこで撮影の仕方を習ったり品評会もあって、
デジカメも使えるようになったし、
なんだか“現代人”になった気がしてるの。
今度パソコンを習おうかと思ってる」とも。
私は、ぜひパソコンにも挑戦して下さいとお話ししました。

千倉の仮設は、ペットがいる人たちが住む仮設住宅です。
私は一昨年の8月から六角支援隊の活動に関わってきましたが、
千倉の仮設は住民同士がとても親密な様子なのを
たびたび見聞きしていました。
たとえばある時、集会所の外のベンチに
二人のおばあさんがいてとても仲良さそうに話し込んでいました。
二人は被災前に住んでいたのはそれぞれ別の地域で、
ここに来て知り合ったのだそうです。
でも「いまはお互いに大好きで、恋人みたいなの」と、
声を立てて笑いあっていたのです。

その時には気付きませんでしたが、
今日正枝さんの話しを聞いて思い当たりました。
ペットがいるという事が、
住民同士の仲を結びつけているのではないかしら、と。
犬を飼っている人たちは毎日の散歩で互いに、
顔を会わせては挨拶を交わすでしょうし、
猫を飼っている人たちもやはり猫を媒体に話しが弾む事でしょう。
正枝さんは「ここに居て幸せ」と言いますが、
被災前の暮しから考えれば不自由はたくさんある筈です。

それでも以前と比べて嘆くのではなく、
今を幸せに思って暮らせることには
ペットの存在がとても大きいのではないかと思うのです。

私が正枝さんに会いたいと思ったきっかけは、
昨年暮れに六角支援隊の根本内さんから
正枝さんが作った紙のピエロ人形を頂いた事からでした。
紙を折って作ったそのピエロ人形を見て、
こんなにきれいな人形を作る人に会ってみたいと思ったのでした。
まだまだ先が見えない避難生活の中で、
正枝さんのように暮らしている人もいるのでした。

その正枝さんは、こんな事も言ってました。
「福島に原発ができる時、
『原発は地盤がしっかりしてる場所でないと建てられない』
って説明されたから、
”ああ、じゃぁここらは地盤がしっかりしてて安全なところなんだと思った」と。

今日も長文になりました。
お付き合い下さって、ありがとうございました。                     

いちえ

2013.2.7

みなさま

南相馬からの帰路で、環境学者の関口鉄夫さんと
信州発のミニコミ誌「たぁくらたぁ」編集長の野池元基さんに同行して
鮫川村の廃棄物焼却炉建設現場を見て帰宅しました。
現地で焼却炉建設に反対している有志たちから
、関口さんが相談を受けていての事でした。

鮫川村は福島県白河郡にあり、人口が4000人、
世帯数が1150世帯ほどの村です。
昨日降った雪は、南相馬を発って飯舘村を抜ける時にも、
路肩には残っているものの、路面にはありませんでした。

けれども白河を過ぎて山中に入って行くと、
シャーベット場になって残っていました。
途中のコンビニで地方紙の「福島民報」「福島民友」の2紙を買ったのですが、
「民報」の一面トップに載っていた記事が
『塙で木質バイオマス発電
新年度、県が誘致 森林除染の態勢整う』と言う記事でした。

記事中の地図を見ると建設予定地は向かおうとしている鮫川村のすぐ南です。
こうした事に疎い私でも、記事の内容にうさん臭さを感じましたが、
助手席の野池さんが記事を音読し、
関口さんが運転しながら解説をしてくれるのを聞けば、
これはとんでもない事です。

県は民有林で間伐による除染を開始し、
平成25年度に東京都の業者を誘致して
伐採もくを燃やす圏内最大規模の木質バイオマス発電施設を作ると言うのです。
県内の森林除染で生じた木材を有効活用し、
稼働に伴い施設運営や搬入作業などで
新たに100人以上の雇用が生まれるなどと言います。
なんというまやかしでしょう!!

鮫川村の公民館では現地の方達が、
昼食を用意して待っていて下さいました。
挨拶もそこそこに、車中で読んできた「福島民報」を
お見せすると誰もがとても驚き、口々に「なんてことだ!」
「大変な事だ!」と言いながら貪るように記事を読むのでした。

塙町は鮫川村のすぐ南です。
8人の方達誰一人として、このニュースをご存じないのでした。
中のお一人はつい数日前に塙町の友人と話しをしたばかりと言うのに、
その時に友人からもこの話しはまったく出なかったと言うのです。
地元の住民にも十分な説明も無いままに、
計画は運ばれていたのではないでしょうか。
“一大事”のニュースが話題になりながら、
食卓を囲みました。
用意して下さった昼食は地元の女性たちの手づくりの品々。
炊き込みご飯にほうれん草と豆腐のお味噌汁、
蕗とこんにゃくの煮物や大根と麩の煮物、
沢庵やその他何種類もの漬け物。ひじきの入ったコロッケ。
どれもみんな美味しく、山深い村のご馳走でした。
美味しい、美味しいと頂く私たちに女性たちは、
原発事故以前には原生林で採った天然の舞茸やその他の茸の美味しさ、
山菜の美味しさ、それがもう食べられなくなった悔しさを言うのでした。

食事を終えて、鮫川村の廃棄物焼却炉建設現場に行きました。
行ってみるとゲートが閉まっていました。
これまではいつも開いていたそうです。
閉じたゲートには張り紙があり、こんなことが書かれていました。
「残寒の候、風邪など召されずにお過ごしでしょうか。
 (中略)

先月末不審者が侵入したような形跡が在り警察に相談したところ、
ゲートを閉じておくよう助言を頂きました。
(この行は正確ではありませんが このような内容でした)
最後になりましたが良き春をお迎えになりますように
お祈り申し上げます。

日立造船株式会社 北村幸蔵」

張り紙には節分に因んで、かわいらしい鬼の顔と
〼に入った大豆の絵が添えられていました。
”慇懃無礼”という印象を受けた私は、ひねくれ者でしょうか?

ゲート前で関口さんが現地の皆さんに、
この地形の中で空気がどのように流れるか、
また風がどう吹くか、草や木の変化など
、観察すべき事柄とその方法など丁寧に説明していました。
ゲート前に私たちがいて関口さんからの話を聞いていると、
現地で反対運動をしているお仲間がまたやって来て加わり、
ゲートの向こうに現場の人
(この人が張り紙を書いた北村幸蔵さんでした)もやってきました。

交渉して4人だけ入っても良いと許可が出て、
この交渉をした現地の新地さんと関口さん、
野池さん、私が入り建設現場に行き見てきました。
焼却物を保管する建家はできていましたが、
焼却炉はまだできていませんでした。
地元の皆さんの心配は、
焼却炉からのダイオキシンや放射性物質が放出されるのではないかということです。

建設現場は小高い場所にあり、
その下の方には溜め池があるのです。
水に汚染物が流れ込めば、汚染された水が地に染み込んで
土壌を汚染していく危険性もあります。
また、地元の方の話しではここは雷の通り道のようなところだそうですし、
冬はとても気温が下がるそうです。
そんな場所にこんな施設を作っても大丈夫なのか、
私の素人考えでもとても危険な事に思えます。
日立造船の北村さんの説明では「すべて計算して、
安全なように設計されています」と言うのですが。

原発事故後、除染の結果でた汚染物の最終処理場も決まらず
仮置き場に置かれたままで、その仮置き場も足りない状況です。
福島県内で30数カ所の焼却炉建設計画があるそうですが、
その処置に困っての焼却炉建設なのではないでしょうか。

「福島民報」で報じた木質バイオマス発電も、
発電の名を借りての焼却が目的ではないでしょうか。
関口さんは鮫川村の方達に、塙町や飯舘村など
各地の反対運動をしている人たちと光に連絡を取りあって、
情報を交換するように強く進めていました。
それを聞きながら私は、また私たちもそのような現地の情報を
もっともっと知るべきではないかと思いました。
知って、繋げて行く事、また知って現地の人と連帯して行く事、
そうした行動を通してこそ
具体的な脱・反原発の声となっていくのではないかと思いました。

今日も長文になりました。お許し下さい。                     いちえ

2013.2.10

みなさま

お知らせが二つあります。

その①
昨年10月に、南相馬の仮設住宅での喜多方ラーメン炊き出しに合わせて催した
「床屋&ネイルサロン」は、皆さんからとても喜ばれました。
先日南相馬へ行った折に、
六角支援隊の大留さんから依頼を受けて3月にまた
「ヘアーサロン」をする事にしました。
前回はネイルサロンもしたのですが、
今回は場所の関係で「へアーサロン」のみとします。

大留さんから打診を受けて前回ボランティアをして下さった
長野県の吉田さんに連絡すると、直ぐにお返事が来たのです。
そして、吉田さんはもちろん、弟さん夫婦とその娘さん
(理容師、美容師、美容師インターン)の4人で行きますと嬉しいお返事でした。
というわけで、3月19日に南相馬仮設住宅で「へアーサロン」を実施します。

吉田さんたちの交通費と宿泊代は、
前回の「床屋&ネイルサロン」の時にみなさまからお寄せ頂いたカンパを
活用させて頂きます。
当日の様子は、また現地からお伝えします。

その②
昨年からセッションハウス・ガーデンで続けてきたトークの会
「福島の声を聞こう!」の5回目を、3月4日に催します。

★下記のダウンロードボタンから詳細をご覧ください

みなさまのおいでをお待ちしています。                               いちえ

2013.2.13その1

みなさま
先ほど鮫川村の焼却炉建設は計画が取りやめになったとお伝えしたのですが、
続報が入りました。
中止は決定していないようです。
現地からの報告です。これを読むと、
まったく余談は許されず、強行されるのではないかとの思いは募ります。
建設反対の署名の用紙を送って下さることになっていますので、
その節はご協力をお願いいたします。  いちえ

本日、鮫川村焼却炉について、建設地から1キロ以内の村民12軒、
および地権者18軒のうち半数の9軒による同意書の取り消しを求める署名を
住民代表が村長へ提出致しました。これを受けて村長は、
「これだけの反対の声が高まったからには中止せざるを得ない」
との意思を表明しました。地元の福島民報、
福島民友がこの模様を取材しました。

今後環境省との話し合いに入ると見られますが、
まだ予断を許しません。がれき広域処理においては
地元自治体が反対しても強硬に進められており、
最終処分場候補地とされる矢板市、
高萩市でも同様の状況です。鮫川村のケースでは、
建設地が民有地(共同管理)であり、
地権者の半数が反対していることが強みと思われますが、
確かどこかの自治体(新潟?)で、
埋め立て処分場の地権者半数が反対しても強行に処分されたと記憶しています。
このあたり弁護士の先生などに確認してまたお知らせいたします。
取り急ぎ緊急報告でした。

みなさま

先ほど鮫川村の焼却炉建設和田-----皆様
(bccで失礼致します。第一報が漏れていた方はすみません。)
鮫川村続報です。弁護士の梶山先生に確認致しました。
結論からお伝えすると、「まだ止まったわけではありません。」
◆まず、「同意要件」は法的拘束力がないこと。

同意がなければ建設できないという法規制がない、
即ち「不同意」でも強行できること。
◆地権者の権利が優先されるかどうかについては、
「土地使用権」の問題であり、「貸借契約」を破棄できるかどうかによる。

◆国は、「土地収用法」によって民有地を強制収用できること。
これまでにも数々の事例があり、
よく使われる手であるとのこと。
◆半数の地権者がまだ賛成していることから、
「土地利用計画」を変更し、
スムーズに利用できるようにすることが可能であること。
例えば、半分の土地を強制収用するなど。
★今後の見通し★県の対応如何にかかる。
多くの反対を受け、環境省に中止を申し入れるかどうか。
ただし、既に県は届出を許可(受理)してしまっているため、
覆すかどうかは分からない。

2013.2.13その2

みなさま

先日の通信でお伝えした鮫川村の焼却炉建設、
村長が断念して計画が止まったそうです。
まだ詳しいことは判りませんが、とりあえず良かったと思います。
鮫川村も地形的にも農業だけでは立ち行かず、
複合形態での村作りをしているところです。
山深い村で、山の恵み、野の恵みが豊かそうなところでした。
先日は前の日に雪が降ったので残雪が見られましたが、
芽吹きの頃に訪ねてみたい村でした。                                                               いちえ

a:2111 t:1 y:0

2013.2.16

みなさま友人のおけらさんのブログから、
ぜひ皆さんにも知って頂きたく、
転送します。Oさんたちが支援している子どもたちには孤児も多く、
その中にはハンディキャップを抱えた子どもが多いそうです。

以下転送_______________________________
おけらが直接友人から聞いた話です。
メデイアを通してではなく、実際にベトナムで見てきたことです。

日本がベトナムに原発輸出をすすめていることは既にご承知と思います。
おけらの友人のOさんは、おけらの高校時代の同級生で、
あれから40年以上付いたり離れたりはあっても
付き合い続けている親友のひとり、といっていいでしょう。

彼女はベトナムの子どもたちの里親活動を長年続けています。
日本円で1年間に4万円あれば、
ベトナムの子ども一人の生活費(育英費)になるそうで
高校教師をしながら、その資金援助をしてきたわけです。
Oさんは昨年ベトナムの里子たちに会いに行きました。

そのついでに、せっかくだからと原発予定地まで足を伸ばしたそうです。
予定地に行くと、なんとそこには日本企業の人たちがたくさん居て、
既にボーリング調査が始まっていたんだそうです。
おけらもほかの友人もびっくりしました。
そこまで事態が進んでいるとは!

a:2111 t:1 y:0

みなさま

以前にもお知らせしましたが、「福島の声を聞こう!vol.5」を3月4日に催します。
どうぞお誘い合わせてお出かけ下さい。
5回目を迎えるこの回では、南相馬の
「原発事故から命と環境を守る会
(通称「六角支援隊」)」の鈴木時子さんと荒川陽子さんに話して頂きます。
六角支援隊は、私がいつも南相馬で活動を共にしている
現地ボランティアグループです。
被災の年は毎日のように支援物資を配る活動、
昨年はビニールハウスと畑、収穫物の線量チェックなどに心身傾けてきた方達です。
またその合間には他府県からのボランティアや見学者の受け入れなど、
本当に頭の下がる活動をされています。

鈴木さんも荒川さんも、
自らが被災者でありながらのボランティア活動です。
私自身をも含めて他所から入るボランティアや見学者には窺い知ることもできない、
現地被災者のことを一番よく知っているお二人でもあります。
どうぞ、鈴木時子さん、荒川陽子さんのお話をお聞き下さい。
みなさまのおいでをお待ちしています。                 

いちえ

a:2111 t:1 y:0

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