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2013年3月の一枝通信

2013年3月の一枝通信

2013.3.6

みなさま

昨夜はセッションハウス・ガーデンで、
「福島の声を聞こうvol.5」を催しました。
ゲストスピーカーは、六角支援隊の鈴木時子さんと
荒川陽子さんのお二人です。
「新幹線に乗るのこれで2回目」と言うお二人を、
東京駅で出迎えました。

東京には何度も来ていても、
これまでは常磐線を使っての上京だったのです。
常磐線なら乗換え無しで上野に出られたのが、
津波で線路が流され、広野ー原ノ町間は復旧には
数十年かかるだろうとされています。
原発事故で立ち入れない区域があるためです。
これまで繫がっていたものが断ち切られたままで、
時間は過ぎていくばかりなのです。

東京駅で出迎えて、神楽坂のお美味しいお店に
ご案内するつもりだったのです。
そこで軽く夕食を済ませて頂いてから、
会場入りしようと思っていたのです。
ところが、月曜日だったためか目指すお店は休みで、
第2候補の店も、第3候補の店も、どこも定休日だったのです。

飯田橋から神楽坂をのぼりながら行ったのですが、
とうとう目当ての店はどこも駄目で仕方なく入ったのは
会場のすぐ側のガストでした。
トホホ…です。わざわざ遠くから来て頂いたのにガスト…。

でも鈴木さんも荒川さんも、
2階の窓辺から通りを見下ろしながら
「人通りが多くていいね。
2階からこんなして人があっちからもこっちからも通って行くのを見ると、
なんだか嬉しいね」と。

南相馬の町の通りで、
こんな風に人が行き交う姿はないのです。
3・11以降急激に減った人たちがまた少しずつ戻ってきたとはいえ、
元々人口はそう多くはなかったところです。
神楽坂の町を通る人の姿を「嬉しいね」と言って下さるお二人に、
おもてなしができなかったことを申し訳なく思いながらも
救われる気がしました。

________トークの会________________
●荒川さんは原発から20キロ圏内にあった自宅を津波で流され、自らも被災者です。
津波の来る前に車で逃げ、幸い家族はみな無事でしたが、
後で考えれば放射線量が高い地域で車中泊などをしながら、
東京の小菅に避難しました。
3月11日地震の後で、着の身着のまま、
サンダル履きでの避難でした。
避難場所に落ち着いて近くのスーパーマーケットに
布団や当座に必要なものを買いに行ったところ、
レジ前に並んだ荒川さんを避けて遠巻きに人々は並びました。
荒川さんの耳に入ってきたのは、誰かが携帯で話している声でした。
「被災者ってもっとまともかと思ったら、
コートも着ないでサンダル履きで、なんか酷い格好だよ」
荒川さんが、「こんな格好のまま逃げたから、私たちは助かったんです。
そうでなかったら私たちも死んでいました」と言うと、
やっと判ってもらえたと言います。
そこでしばらく暮らした後で、一家は分断して暮らすようになりました。

被災前には同居していた息子家族は、
孫とその母親は東京で避難生活。
福島市内に勤務先がある息子は、
会社の寮に住むようになりました。
そして荒川さん夫婦は、
南相馬市内の借り上げ仮設住宅で暮らしています。
これから先を考えるのに、
家族がバラバラの暮しになっているので話し合うことも難しく、
また話し合っても若い世代の思い(原発事故の影響や今後への不安)と
高齢期を迎えて行く自分たちの思いとが、
なかなか纏まらず、喧嘩になってしまうこともある。
でも喧嘩になったとしてもまた話し合って、
考えていかなければならないと、
話し振りは淡々としていますが先の見えない不安の中で
先のことを相談しなければならない葛藤を話されました。

また、そのような自身のことだけでなく
、仮設住宅で暮らすお年寄りたちの思いを代弁して語ってくれました。
長引く仮設での暮しが心身の負担になり焦りを感じている。
健康状態も悪化し、眠れない、憂鬱、
沈みがちな心が続くなどを招いていると言います。

仮設住宅では、たびたび追加工事が行われています。
例えば風呂を追い炊き機能がついたものに交換する、
物置を作る、高窓を吐き出し口のある窓に換えるなどが
これまでに行われています。

けれどもお年寄りたちは、それらの工事を見ると
(自分たちが要求でされる工事ではないのです)
そうしたことにお金を使うのではなく災害公営住宅、
復興住宅にお金を回し安心して老後が送れるようにして欲しいと願っている。
それは、前に進もうとする被災者の願いだと言います。

また、被災者と言っても一人一人皆被災の状況が違うこと。
津波で家族を亡くした人、家族が行方不明のまま今も見つかっていない人、
家も家族も無事だったが原発の影響で家に戻れない人、
みんな違うのだと言うことを理解して欲しいと言いました。

●鈴木さんの家は海から離れているので津波の被害はありませんでしたが、
地震で家が少し壊れたり部屋の中が大変な状態になりました。
東京に住む息子さんから、何度も避難して来るように言われたのですが
脳梗塞の後遺症で歩行が少し困難なご主人とペットの犬も居たことから、
また東京まで車を運転して行く自信もなく、
避難せずに家に残ろうと思っていました。

ところが原発事故も起き、息子さんから避難を強く進められて14日
(この日はご主人の誕生日でもありました)、おにぎりをたくさん作り、
それを持って、意を決して家をでました。

知り合いのいる飯坂に行ったのですが知り合いの家では、
家族にアレルギーの人が居るので犬が一緒では困ると断られ困っていたところを、
その家の近くの人が「家にいらっしゃい」と言ってくれたそうです。
見知らぬ方の家でしたが、温かいご飯、暖かい布団も用意してくれて、
本当にありがたかった、と。

そこに一泊してそこから那須塩原まで行ったが、
その先はもう雪の道を運転する自信がなく、
そこに車を置いて新幹線で息子のところに行くことにしました。
那須塩原のサービスエリアで車を止めた時、
後から来た福島ナンバーの人から「どこから?」と訊ねられ、
原町区からと答えると、その人は双葉町からの人で
「南相馬は原発のお金はなんにも貰っていなかったのに、
私たちの町の原発のせいで、あなた達にもこんな苦労をさせてしまって済まない」
と泣いて言われ、二人で抱き合って泣いたそうです。

息子の家に厄介になったのですが、
お嫁さんが至れり尽くせりしてくれるためかえって気詰まりになって、
ご主人は体調を壊して病院通いの毎日になってしまい、
原町区の自宅に戻りました。
戻ったら大留さんから電話で、
被災者への支援物資を配るのを手伝ってと言うことで、
ボランティアに関わるようになったと言います。
元々鈴木さんも荒川さんも、
大留さんや桜井市長たちと共に産業廃棄物処理場建設反対運動を
一緒にやってきた仲間でした。
それが被災後は六角支援隊の活動に結びついたのでした。

長文になるので、続きは別便にいたします。
ここまでのおつきあいを、ありがとうございました。           

いちえ

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2013.3.6その2

昨夜のトークの会『福島の声を聞こうvol.5』の報告を続けます。

●荒川さんから、昨年は六角支援隊として畑とビニールハウスを提供し、
仮設の方達はそこで各種の野菜を作ったことが話されました。
また収穫した際には、農協の検査センターに持って行って放射線量を測定し、
これまですべて基準値以下だったが、
そのデータをコピーして畑やハウスの利用者が見えるように
逐次張り出しておいたことなども、話されました。
この時に荒川さんは言いませんでしたが、
実際にはこれは本当に大変な手間がかかることなのです。

カボチャでも、菜っ葉でも、大根でも、芋でも、
それぞれみじん切りにしたものを1キロずつ用意して測定するのです。
それらの作業を、荒川さんや鈴木さんがやってきたのです。
カボチャのみじん切りなど、包丁で切るには本当に大変な労力、
体力が必要で腱鞘炎になってしまうような仕事なのです。
後からフードプロセッサーを買いましたが、
初めはすべて包丁で切っていたのです。
畑とビニールハウスで、お年寄りたちが生き生きとしてきたことから、
3年目になる今年は田圃を作ろうと計画していることが話されました。

●鈴木さんからは、仮設の集会所でお年寄りたちが作った
手芸品のことが話されました。
頂き物の毛糸での編み物や、
端切れで小さな袋やフクロウのストラップや部屋飾り、
折り紙の作品などが部屋に飾られていたりするのを見て、
鈴木さんは、支援物資を送ってくれた人たちへの
御礼にするように話したそうです。
お年寄りたちは、楽しそうにお喋りしたりしながら
手を動かしているそうです。

そんな話の後で、鈴木さんから会場の参加者への問いかけがありました。
鈴木さんは実家が石巻で、石巻は津波で多くの児童が亡くなった大川小学校や、
避難場所になった日和山へ上がりきれずに、
その途中で波に呑まれた方達も多く、津波の犠牲者が多くでた地域です。

鈴木さんの姪御さんは、
そこで高齢者の介護施設で働いていました。
お年寄り一人に一人ずつ介護者がついて手を引いて
日和山に避難しようとしたのですが、
波をかぶった拍子に姪御さんがしっかり握っていた手から離れて、
その方は亡くなったそうなのです。

姪御さんは大きなショックを受けて、
その後仕事ができなくなっていました。
現在は被災地のために頑張らなければと、
心を奮い立たせて復職しています。
そのような姪御さんのことを話した後で
「みなさんならどう考えますか?
姪は自分から手を離したのではなかったのだけれど、
手を離れてしまい相手の方が亡くなった、
その家族はどう思うだろうかとか、姪は本当に苦しみました。
今でも苦しんでます。そんな時、みなさんならどうしますか」

鈴木さんからの問いかけは私たち一人一人が、
介護される側、する側に思いをいたして
考えていかなければならないことではないかと思いますし,
また正解はない問いだと思いました。
そして亡くなった人の家族の思い,介護していた人の思い、
それぞれの痛みを我が痛みとして感じ取っていきたいと思いました。

会場では、仮設住宅の方達が作った手芸品、
雑誌『たぁくらたぁ』、ヒッポのみそ工房の手づくり味噌、
友人の恵子さんが作った被災地支援缶バッジが売られ、
また壁には六角支援隊の活動の写真、
放射線量マップなどを展示しました。

事前に呼びかけました毛糸や端切れ、
衣料品などを持ってきて下さった方もおいでで、
段ボール箱2個分のそれらが集まりました。
ご協力をありがとうございました。

またもやの長文、おつきあいをありがとうございました。
次回の『福島の声を聞こう』は6月30日(日)14:00〜16:00、
同じくセッションハウス・ガーデンでいたします。
また,近くなりましたら改めてご案内いたします。                 

いちえ

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2013.3.16

みなさま

伊達市の霊山(りょうぜん)にある大石小学校の児童たちによる、
アート・パフォーマンスのお知らせです。
3・11の地震と、その後の原発事故の影響を、
霊山も大きく受けました。
被災後、小さな学校の子どもたちは
「ふるさと霊山に生きること』をテーマに演劇作りに取り組みました。
このパフォーマンスの様子を、
私は友人でダンサーの佐藤道代さんからお聞きしました。
機会があれば、私もぜひ見たいと思っていた「桑の実が見る夢」が、
自由の森学園で発表されます。

子どもたちを指導した演出家で俳優の木村準さんの言葉です。
      ーー子どもたちの真摯な眼差しに出逢う時
  また、東京の喧噪の中で、彼らの眼差しを思いだす時
    むしょうに「正しく」生きたいと思います。
無論、「正しく」生きる定義は人それぞれでしょうが、彼らに見すくめられる時
         さて貴方は何を思うでしょうか。
          ぜひご覧になって下さい。
          ぜひご覧になって下さい。ーー
佐藤道代さんのブログもご覧下さい。
http:blog.sq-life.jp/sato/

日 時:3月30日(土)
場 所:自由の森学園中学・高校体育館
第1部:14:00〜14:45 パフォーミングアート「桑の実が見る夢」発表
第2部:15:15〜16:00 パネルディスカッション「桑の実が見る夢」から考える復興教育

会場の私立自由の森学園は駐車場台数が少ないため、
できるだけスクールバスをご利用下さい
①東飯能西口発 12:27、13:00 
②飯能駅南口発 12:35、13:00 
*復路バス時刻は会場にてお知らせします。
自由の森学園 電話:042−972−3131
FAX 042−973−7103 ホームページhttp://jiyunomori.ac.jp
住所:埼玉県飯能市小岩井613

残念なことに私は当日先約が入っていて行けないのですが、
ぜひ見たいと思っているものです。
原発事故は福島の子どもたちに、
大きな影を落としました。
ふるさとを離れる、ふるさとで生きる、
その選択は多くの場合、
子どもではなく大人たちのさまざまな判断からだったことでしょう。
けれども「ふるさとで生きる」ことを選んだ時に、
子どもたちにはたくましく生き抜いていって欲しいと願います。
そのために大人たちができることは何か?
きっとそんなことをも考えさせてくれるパフォーマンスだと思います。   

いちえ
                                                

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2013.3.18

みなさま

今日は、みなさまから送って頂いた生地、端布、
毛糸、手芸用品を持って、4カ所の仮設を訪ねました。

初めに寺内塚合仮設住宅の集会所へ。
ここは、小高区からの方達が多いところで、
集会所に集まった方たちも皆小高区からの方ばかり。
みなさんは、端布で小さなフクロウを縫っていました。

そのフクロウが枝に並んで止まっていたり、
小さな籠にいくつか入っていたり、
あるいは一羽ずつ小さな透明袋に入れてあったり、
頭にストラップが付いているものもありました。

何羽かが枝の並んでいたり、
籠に入っていたりするフクロウたちを「家族は一緒に暮らしたいからね」と、
縫い手たちの気持ちを代弁してもいるのでした。
四方の壁にも、部屋の隅に並べた机の上にもこうしたフクロウが一杯で、
それはそれは見事でした。
ここでは、着物地の端布やフェルトが喜ばれました。
部屋の真ん中にテーブルが置かれて、
その上には材料の布や裁縫道具がところ狭しと載っていました。

ふと見ると、縮緬や着物地で作った
かわいらしいお地蔵さまが一つありました。
「お地蔵さまも可愛いですね」と私が言うと、
「だけど、お地蔵さまは、やたらに捨てられないからね。
人形やお地蔵さまは、いらなくなったからって捨てるわけにはいかないから…」
と言うのです。
お地蔵さまは、作品の見本に置かれていたもののようでした。
そう、本当に、人形は使わなくなったからと言って
やたらに捨てるわけにはいかないものと言う気持ちは、よく判ります。
だから人形供養とか、人形塚があるのでしょう。

次に行ったのは小池第3仮設住宅集会所です。
私が持参した動物のぬいぐるみを見たとたんに、
「わ〜、かわいい!」と手に取った人に「簡単に作れるんですよ」と、
作り方を説明すると、そこに居た人たちはみんな寄ってきて、
最初に私の説明を聞いた人が、もう後から来た人に説明をするのでした。
軽トラックに積んで行った布が入った箱を下ろすと、
そこからさっそく布を選び出して「作ってみます」と。

他の人たちも次々と、布を選んで箱から取り出していました。
今日は、私は一緒に作る時間がなかったのですが、
みなさん「まず自分で作ってみます」と言って下さいました。
持参したのは、孫たちに作ってあげたものを、
孫たちから借りてきたのです。
本当は見本用に作ったものを置いて行きたかったのですが、
来る前にはとても忙しくて、作る時間がとれなかったからです。
保育士時代にクラスの子どもたちに、
また、娘や息子が幼かった時にも作ってあげた動物人形です。
型紙無しで作れて、同じ作り方で手の長さを変えたり、
耳やしっぽの形を変えればクマもサルも、
ウサギも、ほとんどどんな動物にでも作れるやり方なのです。
とっても簡単に作れるのです。
「次に来る時には、一緒に作りましょう」と言いましたが、
きっとみなさんご自分で工夫していろいろな動物を作って待っていて下さるでしょう。
ここでは衣服やセーターなどは何かに作り直すのではなくではなく、
そのまま着たいたいと言う人たちがいましたから、そのまま置いてきました。

その次に行ったのは、小池第1仮設住宅です。
集会所では、折り紙細工や編み物をやっていました。
鍵棒で編んだ、花のようなクッションも、
折り紙の吊るし飾りも、
どれもとてもきれいでした。
集会所の管理人さんが先生になったり、
編み物の得意な人が先生になったり、
お互いに教えたり教えられたりして作っていました。
ここでは毛糸は、もっともっと欲しいようです。
昨日は、支援の手芸用品はいったん閉め切りますとお伝えしましたが、
毛糸はどうぞ送って下さい。
お願いいたします。

最後に行ったのは千倉仮設住宅です。
集会所ではちょうど、
座ったままでやる体操の講習会が開かれていました。
前に布地を差し上げた松本正枝さんもそこに居たので、
ちょっとそこから抜けて出て頂きました。
そしてぬいぐるみの説明をして、
布地と端布の箱を置いて失礼しました。

みなさんから頂いたたくさんの品々は、
仮設住宅の方達が大変喜んで下さいました。
薄手の布はシュシュ(と言うのでしたっけ?
髪をまとめた時に使う布飾り)に、
ネクタイはほどいてバッグを作ると言ったり、
博多帯もバッグに再生すると言ったりしていました。
ありがとうございました。
各仮設で、材料を置くだけでなくみなさんの話を聞いてもきました。
津波で家を流された人も、小高区では家がそのまま残っている人も、
先の見通しが立たないままで、不安をたくさん抱えているので

今日、嬉しかったのは上原さんのおばあちゃんが、
久しぶりに顔を見せてくれたことです。
一昨年の暮にご主人が亡くなり、昨年の夏頃から私たちが訪ねても
カーテンを二重に閉めたまま出て来ようとはせず、
たまに外に出ているのを見かけて声
をかけても顔を会わせようとせずに
引っ込んでしまっていたのです。
同じ仮設の人たちに聞いても、「誘っても、外に出て来ないんだ」
「家でじいちゃんと話してたいから、行かねえんだ」と言うというのです。
今日も、何度かノックしても出て来ないのであきらめて帰ろうとしたら顔を出し、
挨拶をするとおばあちゃんは言ったのです。
「じいちゃんと話してたら、じいちゃんが
『誰か来たみてえだぞ。開けて見』って言うから開けたんだ」と。

上原のおばぁちゃんが毎日話をしているのは、
仏壇に飾ったご主人の写真とご位牌になのです。
上原のおばあちゃんは、今は現実と幻が混ぜこぜになっていて、
「じいちゃん」はもう死んだことは判っていても、
いつもいつもそのじいちゃんと話をしているのです。
「ご飯はちゃんと食べてね」というと
「うん、食べないとじいちゃんが叱るからな、食べてるよ」と。
「洗濯は自分でしてるの?」と聞くと「自分でしてる。
けど、干しとくと誰かが盗んでくんだ」と言うのです。
でもこれは、おばあちゃんの妄想なのです。
息子さん夫婦も近くの仮設に居て毎日食事を届けたりしているのですが、
同居する広さはない仮設の部屋です。

今日も長文になってしまいました。どうぞご容赦を。
明日はへアーサロンです。                            いちえ

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2013.3.19

みなさま

19日は朝から小池第3仮設住宅集会所で、へアーサロンを開設しました。
理容師さんは二人、前回の(昨年10月13日)
喜多方ラーメン炊き出しと併せて行った
「へアーサロン&ネイルサロン」で、
大活躍をして下さった吉田廣子さんと弟の藤沢守さん、
美容師で守さんの奥さんの美代子さんと娘の茜さん。
ご家族4人で、長野県から来てくれたのです。
そして、この4人をボランティアに誘ってくれた
同じく長野の大塚美智子さんが、アシスタント役を努めてくれました。

小池第3仮設住宅は高齢者が多いところです。
集会所には台所、トイレは男性用、女性用、
車椅子の人用と3つあります。
部屋は30畳敷くらいの広い部屋と小部屋が二部屋、
床は3部屋とも畳ではありません。
小部屋の一つは、折りたたみ式の長テーブルや椅子、
その他のものを置いてある納戸のような部屋です。
小部屋の片方でへアーサロンを開設している間、
私は大部屋で”茶店”を開きました。
“茶店”では、ヘアーサロンの順番を待ったり、
終わって髪がさっぱりした方達の話を聞かせてもらいました。

●相浦さんのおばあちゃん(85歳)から聞いた話
おばあちゃんは、ヘアーサロンの順番待ちの椅子で、
「もういい。俺は帰る」と席を立とうとしたおじいちゃんの連れ合いです。
この日おばあちゃんは娘が嫁ぎ先から来てくれたので、
娘と一緒におじいちゃん(89歳)を連れて集会所に来たのです。

「小高で農業やってたけど、家は津波で流された。息子も…。
じいちゃんと二人、最初は石神小学校に避難して、そこで一晩過ごして、その後「ゆめはっと」に避難して、「ゆめはっと」には二日居た。
原発が爆発して、そっから今度は三条(新潟)さ行ったの。
この仮設ができたので戻ってきて、6月に仮設に入った。
(小池第3仮設住宅は、南相馬市で最初に作られた仮設住宅のうちの一つです。
津波で家が流された人で、
75歳以上の人から優先的に入居が決まりましたから、
この仮設には高齢者が多いです)
地震の前は、じいちゃん、あんなじゃなかったけっど、
息子が死んだから病気さなっちまった。
几帳面で真面目〜な人なんだ。じいちゃんは。

お医者さんは、几帳面で真面目な人が
こういう病気になりやすいって言ってた。
ちり紙なんかきれいに四つにたたんで、
ポケットに入れとく人なんだ。
だけどその癖のせいでな、トイレに行って使った紙をたたんで
ポケットに入れたりすんだ、今はな。
外にも行がねくなって、足腰も弱ってんだ。
気が難しぐなって、いろんなこともよぐ判んねぐなってきたな。
自分の気にいらねえと、直ぐに暴れるようになちまってな。
だがら、外に連れてくのも病院さ行ぐ時だけなんだ。
今日は床屋さんが来てくれるって、集会所に張り紙がしてあったから、
娘を呼んで来てもらったんだ。
オラ一人じゃここさ連れてくんのも、大変だからな。
だけど、こんな病気になっても、話し方一つだな。
さっきは、そう思ったよ。
さっきは暴れちまって、本当にみなさんにご迷惑をおかけしました。
(急に丁寧な標準語になって、こう言っておばあちゃんは謝るのでした。
おじいちゃんが席を立とうとした時に、
なだめようとした係の手を振り払ったことを言っているのです)

じいちゃんに言ったんだ。『じいちゃん、
仮設に居るオラたちの髪切ってくれんのに、
遠い長野から床屋さんたちが来てくれたんだぞ』って、言ったんだ。
したらな、じいちゃん黙って頷いて、おとなしぐなったんだ。
こんな病気になっちまっても、話し方一つだな」

相浦のじいちゃんは、息子も、家も何もかも
津波で失って避難所暮しとなった、急激な環境の変化のために、
一気にアルツハイマー認知症の症状が出てしまったのです。
夜と昼がひっくり返ったりもしていて、
世話をするばあちゃんの苦労も、
大きいです。
ばあちゃんはこの前、心臓の具合がおかしくなって
お医者さんに診てもらったら、ストレスからの症状と言われ、
今は安定剤、睡眠薬を飲んでいます。
髪をカットしてもらって“へアーサロン”から出てきたじいちゃんに、
「さっぱりして良かったですね」と声をかけると、
じいちゃんはまっすぐな目でこちらを見ました。
「じいちゃん、ちょっとだけ待ってて。
ばあちゃんもきれいにしてもらうからね」と言うと、
じいちゃんは”茶店”の椅子に座ってくれました。
娘さんはずっと、じいちゃんに付き添っています。

座っているじいちゃんに他の人が寄って行き、
「きれいになりましたね」と話しかけたのを、
娘さんは遮って言いました。
「これ以上言わないで下さい。あんまり言うと、
また大変になります」と。
自分のペースを崩されたり、世話を焼かれることが、
じいちゃんにはとても嫌なことなのでしょう。
それで乱暴な振る舞いになってしまうのでしょう。
ばあちゃんがさっき言ってた「話し方一つだな」は、
ずっと介護にあたってきた人の、深い深い言葉だと思いました。

●志賀晴子さん(77歳)の話
晴子さんの家は南相馬市小高区ですが、浪江町との境界辺りです。
被災の数年前に建て直しをしたのですが、
その時に母屋の部分だけは地盛りをして少し土地を高くして建てました。
晴子さんとご主人は、その家で暮らしていました。農家でした。
子どもの居ない夫婦二人の暮しでした。
母屋を立て替えた時に、隠居所と納屋は、
そのまま手をつけずに置きました。
津波は隠居所と納屋を流し、母屋は一階の床下まで届きましたが、
家は無事でしたが石神小学校に避難しました。
それから”ゆめはっと”、そして三条へと、相浦さんと同じコースです。
この仮設へ入った年の暮れに、ご主人が急性心不全で亡くなりました。

「集会所ではいろんな催しをしてくれるけど、
あんまりそういうとこへは出ません。
一人で静かにしてる方が好きなもんだから」
と、晴子さんが言うと、そばにいたおばあちゃんが
「志賀さんは、絵を描くのが上手なの。
ほら、あの絵もこの人が描いたんだよ」と
壁に貼られたシクラメンの絵を指差しました。
晴子さんは「そんな言われっと恥ずかしいから、
言わんで」と言って、「一人で本読んだり、絵を描いたりしています」と。
そして問わず語りに話を続けます。

「主人も無口な人で、私もあんまりしゃべらんかったから
二人で居ても、静かだった。
けど、主人が亡くなって一人になってみたら、
話す相手が居ないのがこんな淋しいもんと思わなかった。

二人で居ても何を話すでもなかったのに、
話しかける相手が居ないって、こんなに淋しいと思わなかった。
今も時々何かを話しかけて言葉を口に出してから、
『あ、もう居ないんだ』って気がついたりして。
これから、どうなるんだろう…。

時々は家に帰って片付けたりしてるけど、
田圃も畑も塩水被っちゃったからねぇ。
こないだ帰ったら、水仙が咲いてたの。
ア〜、こんななって人も居なくなっても、
こんなして咲いてくれてるって思ったら、
嬉しいのと悲しいのと気持ちがいっぱいになっちゃって…。
帰れるもんなら、家に帰りたい。
だけど、帰って何するんだって…。
帰って行っても、何もできない…」

晴子さんは、何度すすめても、
髪のカットは遠慮してへアーサロンには入ろうとしませんでした。
杖をついて帰ろうとする晴子さんに、
「また来ますね」と言うと、「待ってます。来て下さい」と。

次に行く時には、晴子さんに大判のスケッチブックを届けようと思います。

●佐藤さんの話
佐藤さんも小高区の農家でした。
3世代8人で暮らしていましたが、
今は4カ所に分散しています。

「農家だから家が広いんですよ。
ここに入ったら、息が詰まるみたいで慣れないうちは大変でした。
台所なんかホントに狭くて、ちっちゃなまな板でも、
それを置くとこもないようでしょう。
包丁だって、こんな短いの、果物ナイフみたいなのを一本しか置けないくらいだし、
鍋だってなんだって二人だからちっちゃくて。
それで思ったの。
子どもの時やった、ままごととおんなじだって。
あ、私はいま、ままごとしてんだって」

もっともっとたくさんの方からお話を聞きましたが、
誰もが先が見えないことへの大きな不安を抱えているのでした。
ヘアーサロンは、今回は髪をカットしながら
仮設の方達の話を聞いたりお話をしながら、ゆっくりやって頂けました。
9時半から2時までで48人のカットをしました。
とってもゆかいな“お客さん”も居ました。
白いあごひげのシャルダン橋本さんで、
名刺の表には「とび・土木・機械工」とあり、
小高区の自宅の住所が書かれています。
小高区の家は、津波で流されました。そしてこの方も、
やはり息子さんを亡くされています。

名刺の裏には「紅梅カラオケグランドエコー、
全日本歌謡研究会会員、全日本愛瓢(あいびょう)会会員、
全日本猟友会小高支部、その他、趣味多様」とありました。
腰には、ラッカーを重ね塗りして所々塗りを削って重ね色の模様付けをした、
小さな瓢箪をぶら下げて居るわけが判りました。
全日本愛瓢会会員としての、アピールなのでしょう。

爪には金粉のマニキュアが施された手で被った帽子をとったシャルダンさんは、
ぺこんと頭を下げて「ここにね、絆って描いてもらおうと思って」なんて言って、
みんなを笑わせるのでした。
シャルダンさんは、吉田さんに丁寧に頭にカミソリをあててもらって、
またひとしきりみんなを笑わせて帰りました。
文字で書けば同じ体験の相浦のじいちゃんとシャルダン橋本の”ひげじい”ですが、
そしてきっと二人はそれぞれ深い哀しみを抱えているでしょう。
けれども、一人一人が背負っているものはみんな違う、と改めて思いました。

おばあちゃんたちは「お墓参りに行くのに、きれいにしてもらって良かった」と言い、
また、頭も顔もさっぱりして、「卒園式が終わって、孫が会いにくるんです」
と言う60代の男性も居ました。

2時に終了して、その後はまた、仕事を終えた吉田さんたちを交えて、
仮設のみなさんとお茶を飲みながらの交流会。
今日、嬉しかったのは、昨日ここで動物の抱き人形の見本を見せて
作り方を説明したら「作ってみよう」と言って
直ぐに布を持って帰った人が居たのですが、
その人が、家でさっそく作ったおさるさん人形を、
持ってきて見せてくれたことです。
それで、来月またこの仮設で、「人形作り講習会」
をすることにしました。 
もっともっとたくさんの話を聞きましたが、
長文になりますのでこのへんで。
最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
                
いちえ

a:2109 t:1 y:0

2013.3.20

みなさま

六角支援隊の大留さんと相談して、
下記のような活動をすすめて行くことを決めてきました。

①6月下旬に、仮設住宅集会所で落語会を持とうと思っています。
明日、古今亭駿菊さんがボランティアで
被災地を訪問していらっしゃることを聞いて、
お願いしたところ、お引き受け下さるとのことで、
明日駿菊さんと細かい打ち合せをします。
②また、7月15(月)、16(火)日と、
11月18(月)、19(火)日には、
吉田さんと藤沢さんファミリーによる
ヘアーサロンをすることを昨日決めてきました。

そこで、みなさまにお願いがあります。
昨年のへアーサロン&ネイルサロンの時に、
ボランティアで行く理容師&美容師さん、
ネイリストの方達には交通費と宿泊代をカンパしようと言うことで、
みなさんから支援金を寄せて頂きました。
前回は宿泊代はボランティアに方たちがご自分で負担して下さり、
交通費のみを支援金からお渡ししたのでした。
今回は、交通費を負担下さって、宿泊代のみ支援金から支出しました。
支援金残金は、92,000円ありますが、
古今亭駿菊さんの交通費と宿泊代も、
支援金から出そうと思います。

お願い①
7月と11月のへアーサロンの折りには、
またみなさまからのご協力を仰ぎたいと思います。
その節は、どうぞよろしくお願いいたします。

お願い②
手芸用に布、端布、毛糸、手芸用品などをお願いし、
たくさん集まったのでいったん閉め切りました。
今回行って配ってみたところ、
毛糸はもっと欲しいと言う声がありました。
皆様のお家に、使わない毛糸があったら、
どうぞお送りください。
また新たにお願いしたいのが、綿と小さな籠です。
綿はフクロウ人形や抱き人形の詰め物にします。
小さな籠は、家族に見立ててフクロウ人形を何羽か入れるのに使います。
布、端布は足りています。

送り先は、少量でしたら私宛に、
量が多ければ六角支援隊に直接送って下さい。

以上、報告とお願いです

いちえ                         

a:2109 t:1 y:0

2013.3.22

みなさま
「一枝通信」をお読み下さっている方への、お誘いです。
六角支援隊では、昨年はビニールハウスと畑を提供し、
被災者のお年寄りたちが野菜作りで元気を取り戻してきた様子を見てきました。
今年は、田圃を借りて田植えに挑みます。
仮設住宅のすぐ隣の5反の畑地を、借りることができました。

南相馬市は被災の年はもちろんの事、昨年も作付けはできませんでしたし、
今年も市としては作付けしない方針ですが、
試験田としての作付けはできます。
そこで、試験田として「田圃をやろう!」
ということにしました。
被災者の多くは農家の方達ですから、
昨年の畑とビニールハウスでは、本当に生き生きとして野菜作りに励んでいました。
畑では、草取りや芋の収穫などはボランティアの助けを借りて、
やってきました。
田圃は、手植えで、鎌で刈るという昔ながらのやり方でやってみます。
仮設のみなさんだけでは、やりきれません。
ボランティアの助けが必要です。
その田植えボランティアの、お誘いです。

5月4日、南相馬のビジネスホテル六角に宿泊。
5月5日、田植え&仮設のみなさんとの交流会

田植え、炊き出しを手伝って下さる方を募集します。(10名)
交通費、宿泊代は申し訳ないですが自前でお願いしたいのです。
「行くよ!」とお手を上げて下さる方は、このメール宛にご連絡下さい。
また、何かこの件でご質問がありましたら、お問い合わせ下さい。          

いちえ

a:2109 t:1 y:0

2013.3.22その2

みなさま

4月8日に先日「ヘアーサロン」をした仮設住宅で、
ぬいぐるみ作りの講習会を開きます。
布は十分あるのですが、中に詰める綿がありません。
手芸用の綿を安く買えるところをご存知でしたら、教えて下さい。
かなりの量が必要なのです。          いちえ          

a:2109 t:1 y:0

2013.3.26

みなさま

手芸用の綿の件で、みなさまからたくさんの情報を頂きました。
戴いた情報からいろいろ調べて、
品質もよさそうで格安の綿を見つけることができました。
マダムコットンという店のポリエステル綿で、
100g100円をこうにゅうします。
ご協力をありがとうございました。
                
いちえ

a:2109 t:1 y:0

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