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2013年9月

草原の輝き
2013年9月

会津は長州を許さない

大河ドラマが、今年は様変わりした。主舞台は江戸でも京でもなく、会津である。
なによりも、これまでずっと大河ドラマでも描かれてき
た幕末・明治維新のとらえ方が、
180度違っていることが面白い。
幕末のヒーローは薩摩・長州を中心とした志士たちである。

250年もの間に老朽化し、閉鎖的で頑迷固陋な制度に
すがりついていた徳川幕府を打倒し、
近代日本の礎を築いてきたのが幕末の志士、
というのがこれまでのイメージである。
その見方は一方的過ぎるというのが、
『八重の桜』のメインテーマである。

徳川方はいつも悪役。その最先鋒が新撰組と
その背後にいる京都所司代の会津藩・松平容保である。
だから、幕府を倒し、維新政府を打ち立てた政府軍に
戊申戦争で敗れた幕府側の諸藩は賊軍である。
とりわけ会津藩は目の敵にされた。
志士たちの命を狙い、坂本龍馬を殺したのも、
京都所司代と新撰組だと思われていた。
幕府の元凶たる将軍・の徳川慶喜が恭順を示したときは、
あっさり許したのに、会津の恭順は厳しい条件で頑として許さなかった。

その結果が、『八重の桜』の前半、えんえんと描かれた会津戦争である。
映画で描かれた悲劇だけでなく、会津の悲劇は凄惨だった。
それは会津戦争の生き残りが記録した書物の中にもしっかり書かれている。
なにしろ「会津の人間は順いません。お忘れですか」なのである。
 
この夏、会津に行った。新幹線でなく、
山道を行く野岩鉄道の旅である。
トンネルを抜けると見事な渓谷、そしてまたトンネル。
途中の駅では足湯につかりながら中年の女性や女子高生たちが手を振っている。
いいな、まだまだこんな風景が残っていると同行の仲間も嬉しそうだ。
 
会津行きは明治期の自由民権運動のフィールドワークも兼ねていた。
宿では、現地の自由民権研究者からレクチャーを受けた。
その席で、なにげなく聞いた。
「長州とは仲直りしたそうですね」
硬い表情で答えがあった。
「会津は長州と仲直りはしますが、仲良しにはなれません」
会津戦争後、新政府軍は会津藩の戦死者を弔うことを禁じ、
禁を犯して弔うものがいると、それも罰した。何ヶ月も死体を放置して、
街中に臭うようになり、仕方なく何ヶ月後に埋葬を許可した。
「どんな戦争も残虐なものだ。虐殺・凌辱・暴行なんでもありだ。
しかし、死体の埋葬まで許さないという1点で、会津は長州を永遠に許さない」
 
140年の時間を超えられない怨念に、
かつて山口のはるか片割れに住んだことのあるわたしは、ものも言えなかった。
翌日、わたしたちは会津の地酒を醸造している蔵元を訪れ、
鶴ケ城や会津戦争戦死者を埋葬した寺、白虎隊の飯盛山などを回った。
 
わたしたちの頭が垂れ気味だったせいだろうか。
ここでは静かに、芯の強い信念をいまだ大切にして、ものをつくり、
生活しているというのが感想だった。
 
そういう人たちと、140年の歴史を超えてともに生きる方法はあるはずだ。
少なくとも、ふつうの庶民の間で共に手にするものは多いはずだ。
会津を歩きながら、そう考えていた。

ところで、なぜ会津ツアーのパンフレットを東京ではめったに見ないのだろうか。
七不思議の一つである。

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