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2013.10.5,6

2013.10.5,6

みなさま

土、日と南相馬へ行ってきました。
小池長沼仮設住宅での、縫いぐるみ講習会です。
今回は友人のHさんが、アシスタント役として同行してくれました。
5日の朝の新幹線で福島へ、そして福島からバスで南相馬には昼少し前につきました。
Hさんとはこれまで岩手県や宮城県の被災地で
一緒にボランティアをしたこともありましたが、
南相馬は彼女には初めての場所でした。

それなので5日は、六角支援隊の大留さんに浪江町や南相馬市小高区、
仮設住宅のある鹿島区を案内してもらいました。
あいにくの雨模様でしたが、瓦礫も片付いていず、
人の住まない小高区や浪江町の様子に「岩手や宮城とはまったく違いますね。
復興なんてまったく先が見えないですね」と、Hさんの感想です。
それでも小高区は昨年4月、浪江町は今年の4月から日中は入れるようになったので、
当初よりは片付いてきてはいるのです。
とは言え、瓦礫が散らばっているのではなく、
そこここに片寄せて集められているというだけのことなのですが。

請戸漁港跡に立って、荒れた海を眺め、
また漁師さんたちの家のあった跡
(そこはただ、何戸分もの土台だけが草に埋もれています)
を見てHさんが溜息まじりに言いました。
「本当に福島は海あり、山あり、川ありのいい所だったんですね」
それを聞いて大留さんは「そうだよ。地震と津波だけなら、
なんとか生活を立て直していけただろうけど、
放射能にふるさとを奪われちゃったんだよ。
春になっても山菜も採りに行けない、秋に茸も採れない。
川でも海でも魚が捕れない。とったってどれも食べられないんだからね。
ふるさとを奪われたって言うのは手足をもがれたようなもんなんだよ」と言います。

2年半経っても被災した時のままの浪江町や小高区を見てから、
原町区の海岸辺から東北電力の火力発電所を通って、
鹿島区の方へ向かいました。
Hさんに海岸辺を見て欲しかったのは、
南相馬市の瓦礫の仕分け方と仕分けた瓦礫を
どんな風に活用しているのかを見て欲しかったからです。
瓦、コンクリート片、鉄骨など金属類、
木は柱や丸太などの大きな木材と小さな木片、
泥のついた瓦礫から集めた土、塩ビ類などと徹底して仕分け、
細かく砕いたコンクリート片や瓦を土台に土を盛って小さな丘を作っています。
やがてそこに草が生え木を植えて防潮の小山にしていくのです。

大留さんは言います。
「産業廃棄物処理場建設に反対してきた市長だから、
これだけのことができるんだよ。
瓦礫を他所に持って行って燃やすなんてことをしないで、
瓦礫のリサイクルなんだよ。資源として活用できるものは、徹底して使う。
使えないのは塩ビ類だけなんだよ」
本当に、この様子は多くの人に見て欲しい光景です。

鹿島区の仮設住宅や畑、ビニールハウス、田んぼを一巡して、
ビジネスホテル六角へ戻りました。
夕食に試験田で収穫したお米、
福島のブランド米「天のつぶ」を炊いたご飯を頂きました。
玄米からは16ベクレル検出されたそうですが
(政府の出している100ベクレルからははるかに低い値ですが)、
精米して炊いた白飯からは検出せずだったということで、
本当に嬉しいことでした。
とてもおいしいご飯でした。

長文になりますから、縫いぐるみ講習の様子は次の便でお伝えします。

いちえ 

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