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2013.12.22

2013.12.22

みなさま

友人一行と郡山で合流して、田村市、川俣町、飯舘村を経由して
昼過ぎに南相馬に着きました。

途中の田村市で先月南相馬に来た時に、帰路で田村市を回りました。
その時のことは以前の「一枝通信」でお伝えしましたが、
除染で出た廃棄物の入った黒いフレコンバックが歩道に積み並べられていたのです。
まるで、家庭ゴミがゴミ収集日に出されているような様子で。
仮仮置き場さえ決まらずに、とりあえずそこに置いたという感じでした。
今日見ると、仮仮置き場が決まったのか
、路上にはまったく無くなっていました。
でも、仮仮置き場って、とっても変な言葉だと思います。
「仮」を二つ重ねて「仮」の「仮」ということならば、
初めの「仮」は「仮」ではなくなる筈ではないかと思うのです。
「焼却場」を「減容施設」と言い換えることと同じように、
これも「官僚作文用語」ではないかと思うのです。

南相馬に着いて友人たちの中には南相馬訪問が初めての人たちもいたため、
六角支援隊の大留さんに被災地案内をお願いしてありました。
予定では浪江町請戸、小高区、原町区の小沢、
萱浜などの20キロ圏内での津波の被災地、原町区海岸の瓦礫仕分け現場、
鹿島区右田浜の植林現場、仮設住宅を見ていただく予定でした。

けれども浪江町請戸は、予定から外さざるを得ませんでした。
10日ほど前に請戸で不審火から火事があったそうで、
そのために許可証がない者は一切入れないということになりました。
以前は許可証がなくても、焼香や取材という理由で、
車両ナンバーを控えられるだけで入れたのです。
”火事”と聞いて、いろいろを思いました。

3年も経とうというのに何も片付かず、先も見えない現状に、
業を煮やした住民がそれを嘆いてのことなのか、などなどと。
20キロ圏内は瓦礫撤去など市ではなく国の管轄でするようになっているのですが、
崩れた家なども未だにそのままで残っていますし、
除染などは手がつけられずにいます。
小沢や萱浜の津波で破壊された堤防の跡を示して、
大留さんが説明しました。「ほら、見てご覧。
これ作った頃の堤防の工法は家と違って、
コンクリートに鉄骨が全然入れてないんだよね。
これじゃぁ強い力でぶつけられたら、崩れてしまうよ」

右田浜ここのことも以前の「一枝通信」でお伝えしましたが、
瓦礫を芯にして土を盛って小山を作り、そこに植林をしてあります。
植樹祭は10月の初め頃でしたが、
一本も枯れずにどれもがしっかりと根付いているようでした。
これは幾種類かのそれぞれ樹高の異なる広葉樹を植えてあり、
樹間はさほど広くはないのですが、
樹高が異なるために互いに邪魔にはならないようにと考えられてのことです。
来年はもっと大きくなっているでしょうし、
各地から来て植樹したボランティアたちも
自分たちが植えた木の生育を楽しみに右田浜を訪ね、
また語り継いでいくことでしょう。こうしたこともまた、
「福島を忘れない」一つなのでしょう。

たくさんの出会い今日、郡山からご一緒した人たちはOさん以外の5人の方は、
私には初対面の方たちばかり。
みなさんとても魅力的な方達ばかりでした。
明日午前中は、私が仮設住宅をご案内することになっています。
”ぶさこちゃん”を作っている方達をご紹介しようと思っています。
また今夜は、六角には他のボランティアグループも集まったのでした。
Kさんたちは折節、プレゼントと手紙を仮設住宅のみなさんに配っています。
今回はクリスマスで、Kさんはサンタクロースの衣装でした。

もう一組は、2011年3月、
原発から30キロ圏内の物流が途絶えていた時期に
いち早く支援物資を運んで来ていた”みちのく応援隊”にいたYさんたちです。
そしてもう一組、『たぁくらたぁ』編集委員の方たちです。
大勢が集うたこの日、大留さんが言いました。
「原発事故はまだなんにも終わってないけど、
でも僕はこうやってみんなに会えたからね。それだけは有り難いと思ってる。
こんなことがなけりゃ会えなかった人たちだからね。
みんなもこうしてここでつながり合えたからね。
それだけはよかったと思ってる」
ホント、私もここに通って多くの方達と知り合え
心通わせ合うことが出来たことを、有り難く思っています。

いちえ

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