ようこそ、フォーラム色川のホームページへ

2013.12.23その1

2013.12.23その1

みなさま
仮設住宅訪問午前中は昨日から行動を共にしている友人たちをご案内して、
萱浜の上野敬幸さんのお宅と、小池長沼、小池第3、
寺内塚合の3カ所の仮設住宅を訪問しました。
小池長沼と、小池第3では”ぶさこちゃん”を作ってくださっているので
集まったカンパ金もお渡しして来ました。

臭くて30分も居られない」寺内塚合では
集会所の前でちょうど餅つきをしていて、
私たちも搗き立てのお餅をいただきました。
ここは小高区から避難している人たちが、ほとんどです。

集会所とは別にある談話室に毎日集まって、
手芸品を作ってるおばあちゃんたちが居るのです。
元々近所に居て仲が良かった人たちですから、
ここでも和気あいあいとおしゃべりをしながら手を動かしています。
折り紙のくす玉や、布製の小さなフクロウを作っています。

70代後半から80代の人たちですが、
津波の被害はまったく受けていない地域の人たちです。
仮設暮らしながら”和気あいあい”で笑いが絶えないのも、
こうしたことからなのでしょうか。
小高区は山側の一部の地域以外は、
昨年の4月16日から日中は自由に自宅に入ることが出来るようになった地域です。
私が「お正月は小高神社に初詣に行って、お家で過ごすのですか?」と尋ねると、
天野ハルさんが答えて言いました。
「サルやイノシシがそこいら中荒らしてるし
、家ん中はネズミがそこら中糞したりしたり荒らしてるし、
家さ帰っても、私ら30分も居らんないよ。
臭くて、気持ち悪くなっちまう。イノシシは家ん中さ入ってはこねえけど
、いろんな動物が荒らしてんだもんな。もう家には戻らんねぇ。
ネズミだけは、どうしようもねぇな」
こうした話は以前、小高区から飯坂に避難して暮らしている人からも聞いていました。
その人の家も地震や津波の被害はなく
家はそっくりもとのままであるのですが、
戻れるようになってもあの家には住めないというのです。
「たまに掃除などで戻っても、家中ネズミの糞だらけで、
放射能の被害より何よりも、あのネズミの数を見たら、
もうあの家には住めないと思う」と。

「孫との別れが辛かった!」小池長沼の志賀礼子さんは
原町区小沢の家は津波の被害を逃れて無事でしたが、
20キロ圏内なので住むことが出来ずに仮設に居ます。
以前は3世代で暮らしていて震災直後に避難所に行った時は家族一緒でしたが、
原発事故後はお嫁さんと孫はお嫁さんの実家に避難させました。

孫たちの健康を考えるとそれしか方法はなかったが、
別れは本当に辛かったと言います。
また、仮設住宅の入居は高齢者やハンディキャップのある人から
優先的に入っていったので、
志賀さんのように5、60代の人たちは後まわしでした。
志賀さんが仮設住宅に入ったのは、3ヶ月後の8月でした。
志賀さんは避難所にいた時から安眠剤を呑まないと眠れず、
「仮設住宅に入居できたら、ゆっくり眠れるようになるだろうな」と思っていたそうです。

けれども仮設住宅に入ったらかえって逆で、
避難所は広い空間に大勢の人たちが居たけれど、
仮設は狭くて、その狭い空間でご主人と顔を突き合わせていると
神経がいらだってくる、けれどもご主人が仕事で出かけて
自分一人になってしまうとボロボロ、ボロボロ涙がこぼれてきて、
入眠剤、安眠剤の量も増えてしまったと言います。
これでは駄目だと思っていた時に、
娘さんから孫たちの幼稚園や小学校の送り迎えをしてと頼まれ、
それをしているうちに少しずつ元気になって、
仮設の人たちとも話をするようになり
手芸クラブを作って集会所で集まるようになったと言います。

「こんな話は、みんなと居る時は絶対しないよ」
小池第3仮設住宅では黒沢さんが、
2011年3月11日の津波が襲ってきた時の
小高区井田川の自宅付近の写真を見せてくれました。
その写真を前にして黒沢さんと、
同じく小高区の浦尻に自宅があった渡部さんと木下さんの3人は
どこに自分たちの家が在ったか、
この写真はどの場所から撮ったものなのかなどを話してくれました。

そしてまた、つい先日にこの集会所で催した余興大会のことや、
ある人を呼ぶのに名前で呼ばずに「ガッコパッパ」と呼ぶことなどを、
コロコロと笑いながら話してくれました。
ガッコパッパというのは、
学校の近くの家に住んでいる奥さんのことを呼ぶ言い方だそうです。
でもそんな風に楽しげに笑いながら話す黒沢さんと渡部さんですが、
お二人は津波で家族を亡くされています。

黒沢さんはご主人んと娘さんを、渡部さんはお孫さんを。
そして渡部さんは消防団員だったお孫さんが、
お年寄りを避難させようとおぶって逃げる途中で波にさらわれるのを、
避難していた高台から目撃しても居るのです。
「家族を亡くしたことなんか、
みんなと居る時は絶対にしないよ。
ここでは私らの他には家族亡くしてる人は居ないからね。
みんなが楽しく集まってる時には、絶対にしないよ。
みんなが嫌な気持ちになるでしょ。
私ら二人で居る時もこんな話しはしないけど、
お互いに気持ちは判るからね。だから二人でいっつも、
ここでは楽しいこと話して笑ってんだ。
でも、一人になっと、寂しくて泣いちゃうんだよね」

私は数日前に黒沢さんから電話をもらいましたが、

電話口で黒沢さんは言いました。
「きょうはね、嬉しいことがあったんだ。夢でね、おとうさん
(ご主人のこと)が出てきたの。”あれ、おとうさん、そこに居たの?”
って言ったら、笑って手振ってたんだ。
私がそばに行こうとしたらすうっと居なくなっちゃったんだけど
、”また来てね”って言ったら、笑ってる顔が見えたんだ」
今日、黒沢さんとの別れ際に「黒沢さん、またいい夢を見てね。
おとうさんに夢で会ってね」と言っておいとましました。                                               
いちえ

a:1083 t:2 y:0

powered by Quick Homepage Maker 4.85
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional