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2013.12.23その2

2013.12.23その2

みなさま

12月23日午後からは郡山から同行した友人たちとは別れて、
「たぁくらたぁ」編集委員たちと行動を共にしました。
南相馬ソーラー・アグリパーク以前には
介護老人施設のヨッシーランドがあった原町区下渋佐に、
大きなドーム型のビニールハウスが2棟できています。
そこでは水耕栽培で野菜を作っていると聞いて、行ってみました。
「泉ニューワールド 野菜工房 童夢」と表示した倉庫のような建物と
ドーム型のビニールハウス、事務棟がありました。

ドームの内部は無菌を保つために入口は二重ドアになっていて、
靴も履き替え、頭にはビニールのキャップを被り、
衣服には消毒液をスプレーで吹き付けて入るようになっています。
私たちは中には入らず外から見ただけでしたが、
ちょうど見学者らしい人が施設の人に案内されて入る所に
行き会わせたのでした。
サラダ用の野菜が栽培されていましたが、
二つのドームではそれぞれ別の作物を作っているとのことでした。
腰よりも少し高い位置に作物を育てるプランターのようなものが並んでいて、
それはベルトコンベアーに載っているそうです。

採れた野菜は、大手スーパーに卸されているということです。
「野菜工房 童夢」の名が表している通り、野菜栽培の工房なのです。
当然、水にも雑菌が入らないように、
そして化学肥料を加えての栽培であることは、推し量れます。
原発被災地での農業という意味では一つの選択肢なのかもしれませんし、
またこうした栽培方法なら自然条件に左右されずに、
年間を通じて安定した供給が出来ることも理解できますが、
なんだか割り切れない思いが残りました。

3・11後の福島県では、「測定して耕す」
ことを続けている農家は少なからずあります。
彼らは研究と工夫を重ねながら、安全な農作物を生産してきています。
もちろん、出荷にあたっては検査をしてから出していますが、
国の基準よりもさらに低い数値を自らに課してもいます。
これらに関しては私自身も福島の農業者から聞いていますし、
みなさんも福島の農家の方から話を聞いて欲しいと願いますが、
そうでなければ是非お読み頂きたい本もあります。

★『放射能に克つ農の営み ふくしまから希望の復興へ』
菅野正寿・長谷川浩 編著、コモンズ刊です。

アグリパークの敷地内では電気自動車の
バッテリーチャージもできるようになっていて、
試乗用の電気自動車も一台止まっていました。
栽培ドームも、また事務棟など他で使う電力も、
ここでは太陽光発電でまかなっているようです。
隣接した広い敷地には、ソーラーシステムのパネルが
敷地いっぱいに設置されていました。

自然エネルギーならいい?上記の施設を見ても思うのは、
原発を止めて太陽光発電や風力発電、その他の自然エネルギーに変えれば、
それで良いのかということです。
とても気掛かりなことも聞いたのです。
瀬戸内海に浮かぶ祝島の人たちは、原発建設に反対を続けてきています。
きたるべき町長選に向けて、その反対運動が割れてきているらしいというのです。
原発に変わるエネルギー源として、
風力など自然エネルギー施設を作ろうという派と、
原発もそれに変わるエネルギー施設もいらない、
このままの自然を残していこうという派に割れているらしいというのです。

この問題は祝島だけではなく、
脱原発をめざす私たちすべてが考えるべき問題なのではないかと思います。
太陽光や風力、潮流など再生可能な自然エネルギーを使っても、
そのための設備にはどんなことが必要で、
それらが未来に及ぼす影響はどうなのかを、
よくよく考えないといけないと思うのです。

3・11以降、自然エネルギーが大きく唱えられるようになりましたが、
一部にはそこにもまた利権が絡んでいると思えるような場合もあります。
3・11直後は節電が叫ばれて、
店や施設、駅など、かなり灯が暗くなっていましたが、
年末になるともう元の明るすぎるほどの明るさに戻っていました。
自動販売機も相変わらずそこら中に見られます。
原発を自然エネルギーに「変えよう」ではなく、
「変わろう」ではないのかと思うのです。
私たちが「変わろう」とすることが大事ではないかと思うのです。
経済成長を目指すばかりだった、
これまでの暮らしぶりを見直していくべきではないのかと思うのです。
科学や技術は驚くべき進歩を遂げていますが、
倫理観はそれに伴って向上しているとは思えません。

あらゆる分野で、しっかりと考えるべきだと思うのです。
小高区浮舟ふれあい広場小高の駅前通りを通った時に、
スピーカーから音楽が流れてきました。
見るとそこだけ中に電灯がついて明るく、人が居るようでした。
「小高区浮舟ふれあい館」と看板が出ていました。
小高区は去年の4月16日から日中は入れるようになっているので、
たまに人の姿を見ることはありますが、
それは家の掃除をしに来る住民やボランティアです。
だから小高は未だに人気の無い地域なのです。
そんな小高で音楽が流れ、電気がついていた場所だったので
不思議に思い訪ね、そこに居た職員らしい男性に、話を聞きました。
建てたばかりのような新しい建物ですが、
2010年に小高区の街作りの拠点の一つとして、
地元の商工会によって作られた施設だそうです。

彼は商工会の人なのかと思ったら、驚いたことになんと、
東京電力の社員だと言うのです。
「なぜ、東電の社員の方がここで働いているのですか?」と訊ねると、
施設が出来た時から、ここでは東電の広報活動もしていたのだそうです。
それで今年の4月にここが再開された時から、彼が出向して勤めているそうです。

彼は、被災前の施設についても実に淀みなく説明してくれました。
「ここが出来たのは震災の一年前ですが、
小高区は地盤が緩いので、土台をしっかりと補強して建てました。
殆どの家が崩れたり地震の被害を受けているのに、
ここは何一つ壊れることなく、無傷で残りました」と言い、
壁に掛かっている白版を指差しました。
「あれは2011年3月の行事予定が書き込まれていた白版です。
掛けてある場所も、書かれている内容も、あの時のまま残してあります」
見ると10日までの日付には×印がついていて、
それは既に終えた行事であることが判ります。
「小高の商店の人たちが安心して子育てが出来るように、
また買い物に来た人がここに子どもを預けて用足しが出来るように、
児童館としても機能していました」と彼が言う通り、
建物の奥は畳敷きの部屋で「まちなか児童館」の表示があり、
書棚には児童向けの図書がたくさん置かれていました。

立て板に水のように説明してくれる人に、
「原発事故で小高の人はここに住めなくなっているのですが、
そのことで苦情を言われませんか?」と聞くと、彼は答えました。
「小高の人は優しい人が多いですから、
4月から今までの9ヶ月間で、苦情を言われたのは一度だけです。
その方も住まいは埼玉なのですが実家は小高で、両親が埼玉に避難して、
それで文句を言いにこられたのです」千葉県出身で家族はそこに置いて
単身赴任できていると言う彼に、この地に赴任することに不安はなかったかと、
訊ねると「私はずぼらな性格なので、
不安感はなかったです」との答でした。

「ご家族は、どうだったのでしょう?」と聞くと
「5月の連休の時に一度家族を呼んで、現地の様子を見せました。
22歳になる娘は、津波で壊れた家の跡を見て胸を傷めたようでしたが、
幸いこの施設は無傷できれいですし、
私ががここで働くことに対して家族の不安はありませんでした」
さらに彼は言いました。
「本社の社員たちも何度かこちらにきて、
住民の方達の家のお掃除などをさせていただいています。
住民の方からは感謝されています」
「燃料棒も取り出せましたし汚染水の漏れも止まっていますから、
まだまだ課題はたくさんありますが、
これからもみなさんのご理解を頂いてやっていこうと思います」

この人をいじめても仕方がないので、
私たちも極々丁寧に詰問調ではなく質問しましたが、
それに対して非常に物腰柔らかに低姿勢で答えを返し、
“慇懃無礼”を地でいくような人でした。
前の日に、小高区から鹿島区の寺内塚合の仮設住で
避難生活を送っている人から聞いた「家はそのまんま残ってるけど、
帰っても30分も居られないよ」
の言葉が耳の奥で大きく響いていました。

長文になりましたが、ご容赦下さい。今回の南相馬行報告は、
もう一便、後ほどお送りいたします。        

いちえ

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