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2013.12.24

2013.12.24

みなさま

24日午前中は、小高区から避難して、
原町区で仕事を再開した松本さん夫妻を訪ね、
市役所に寄って桜井市長に会いました。
それから伊達市の仮設住宅に長谷川健一さんを訪ね、
福島で椏久里に寄って帰路につきました。

松本オート松本進さんと優子さん夫婦は、
従業員は使わずに夫婦二人で、自動車修理と中古車販売の仕事をしています。
小高に居た時には優子さんの母親の正枝さん、
信用金庫に勤めていた娘と小高工業高校2年生だった息子との5人暮しでした。

被災直後は川俣町に避難し、3月15日に進さんの友人の勧めで千葉県に避難し、
借家暮しとなりました。
息子は、借家から通える範囲にあった春日部工業高校に編入して卒業し、
現在は千葉の工業大学に在学して大学の寮に入っています。
娘は大熊町の支店勤めでしたから失職かと案じていたのですが、
5月に勤め先から連絡があり原町支店勤務となったため、
原町区に戻りアパートを借りて一人暮らしを始めました。
正枝さんは8月に鹿島区の仮設住宅に入居しましたが
、優子さん夫婦は千葉で息子の高校卒業と大学に入学して
寮生活となるまでを見届けてから、
昨年4月に正枝さんのいる仮設住宅に入居しました。
そして7月に現在営業している原町区に場所を見つけて、仕事を再開したのです。

仕事を再開してからのことも聞かせてもらった後で、
前日に訪ねた小高区浮舟ふれあい館の東電社員の言った
「小高の人は優しいから苦情は一件だけだった」
「住民の自宅の掃除などをして感謝されている」を伝えると、
優子さんはしばし絶句して、それから言いました。
「大熊や双葉に行くと小さい町なのにすごく立派な役場や公共の施設があって、
原発って儲かるんだなと思った。
原発が出来てから小高も新しい店ができたり客が増えたりして、
少しはいいこともあったかもしれないけど…。
小高と浪江にも原発の話はあったんですよ。
でも、出来なくてよかったね。
原発事故の後で私たちは賠償金を貰ってここで仕事を再開できたけど、
そうしたら所得税がかかってるんですよ。
国税庁と東電はグルになってるんじゃないかって思う。
作物なんかが風評被害を言われるけれど、
前には福島や東北だけでなく関東からも中古車の購入がずいぶんあったのに、
今はどんなにきれいに整備しても福島と言うだけで、
以前のようには売れなくなってしまった」

南相馬市役所で市役所に寄って広報などを貰って帰るつもりでした。
そこでバッタリと市会議員の田中京子さんに会い、
京子さんが市長に連絡を入れてくれて、市長室を訪ねました。
桜井市長に会うのはいつもは大留さんの所だったので、
市長室を訪ねるのは初めてでした。
いつも忙しくしている市長ですが、
来年1月の市長選を控えてとりわけ忙しい時期でしょうに
たまたまこの時には予定が何も入っていなかったのだそうです。
前の日が相馬市の市長選挙の日でした。

それ以前の福島県の首長選挙では現職がすべて破れていたのですが、
相馬市では200票という僅差で辛うじて現職が当選しました。
来月行われる南相馬市市長選挙では、
「脱原発をめざす首長会議」の世話人である桜井さんには、
是非とも当選して欲しいと願っています。
今回も見てきた瓦礫の仕分けや防潮林建設など、
続けて取り組んで欲しいと思いますし、
南相馬への大学誘致計画も、実現して欲しいことです。
これは他の都道府県に現存する大学と提携して、
そこの学生が南相馬にきて研究活動することで
単位取得できるようにするという構想です。
例えば地域住民の健康や生活状況などを実態調査してきちんと記録し、
それに関しての考察をしていくなど、
机上では学べない活きた学問になるのではないでしょうか。
原発事故後も市役所を離れず夜もそこに泊まり込んで、
住民避難の指揮を執ってきた桜井市長です。

長谷川健一さん今月8日に催したトークの会
「福島の声を聞こう!vol.8」では、
長谷川さんにおいで頂き
『飯舘村 わたしの記録』上映とお話をしていただきました。
長谷川さんは原発事故後からずっと、
映像や放射線量など、記録をとり続けています。
飯舘村前田地区の区長として村民の暮しや今後に向けてに心砕いての活動と、
自身で集めた記録を基に国内外で講演活動を続けています。
全国各地に呼ばれて既に220回もの講演をしてきましたが、
「今年は、一枝さんとこでやったあれが最後の講演だった。
呼ばれることも、だんだん減ってるな」と言います。
けれども、飯舘村の状況、村民の健康状況など長谷川さんの記録は常に更新されて、
お話を聞く度に問題点を新たに示されます。
多くの人に、長谷川さんの話を聞いて欲しいと思います。
狭い仮設住宅に置かれた書架には、
原発関係の本がびっしりと並んでいました。
来年5月に、飯舘村の各地区区長たちとチェルノブイリに行く計画を立てています。
「観光なんかしないで良いんだ。現地が今どんなになってるのか、
人々の健康状況はどんなか、政府や行政はどんな対応なのか、
そんなことを実際に行って見てきたいんだ」
長谷川さん自身も体調は万全ではないようです。
放射能の影響か断定はできないものの、
かなりその影響は疑わしいものと思われます。
「これ、来年の年賀状」と言ってパソコン上に起こしてみせてくれたのは、
飯舘村の写真に文字が添えられたものでした。
青空の下に黒いフレコンバックが積み上げられてる写真に、
白抜きの文字で「これが現状です」と書かれていました。

今回も長文になりました。重ねてご容赦を。
次号で追記を、もう一文送らせていただきます。 

いちえ

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