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2013.12.9その1

2013.12.9その1

みなさま
今日はトークの会「福島の声を聞こうvol.8」でした。
ゲストスピーカーは、伊達市で避難生活を送る飯舘村の酪農家、長谷川健一さんです。
今回の会場はいつものセッションハウス2階のギャラリーではなく、
スクリーンのある地階のスタジオで行いました。
始めに長谷川さんが撮り続けてきた記録映像、
『飯舘村 わたしの記録』の映写をしました。
そのご休憩を挟んで、今度は動画ではなく
長谷川さんが撮り続けてきた写真を見ながらトークを聞きました。

『飯舘村 わたしの記録』原発事故後、長谷川さんはすぐに
「これは記録しておかなければ」と考えて、ビデオカメラを買って、
記録を撮り続けてこられたのです。国が情報を出さず、
誰もが飯舘村は安全と思い込んでいた(思い込まされていた)時期から、
この村で起きたことを記録に留めなければと思い立って、
映像として残してきた長谷川さんの姿勢に、先ず感銘を受けました。

2011年3月、地震による地割れや道路の陥没などの風景から始まり、
乳牛から絞った乳を捨てる日々、
酪農家たちが飼っていた牛を屠殺のために手放す日の様子、
田畑に雑草が生い茂っている様子、
「全村避難」の指示が出て仮設住宅に移り住むようになった日の記録、
それまで4世代が一緒に暮らしていた長谷川さんの家族も、
3カ所に分断されての避難生活になりました。
飯舘村の自宅で家族全員で摂った最後の晩餐の様子や、
ブルーベリー畑の決して摘み取られることのないたわわに実ったブルーベリー。
この村で生きてきた生活者の目で、記録は残されていました。

第1部の上映が終わり休憩を挟んで、
次は静止画を写しながらの長谷川さんのお話です。
第1部の映画は字幕はなく、所々に長谷川さんのナレーションが入っていましたが、
淡々と当時の飯舘村の様子を見せていました。
第2部では、『飯舘村 わたしの記録 その後』と称して、
長谷川さんは怒りをこめて熱く語りました。

『飯舘村 わたしの記録 その後』東京電力福島第一発電所3号機爆発、
続いて2号機が。放出された放射性物質が北西の風に乗って、
まるで飯舘村を襲うかのように降り注いだスピーディによる記録写真。
福島県内各地の人々の被曝状況の記録。
家屋の瓦屋根や外壁を濡れたティッシュで拭き取り、
畑や田圃は表土を5センチ剥ぎ取り汚染されていない土を盛り、
剥ぎ取った土は黒いフレコンバッグに詰めて、
その畑の上に積み上げてある、そんな「除染」の実態。

村役場に設置された線量計の示す、いかさまな数値。
草ぼうぼうの田圃や畑。イノシシに荒された畑や、
人の気配のない村の様子。住むことは出来なくなっても、
自分たちの地区は荒れたままにして置きたくないと草刈をする村の人。
102歳の老人が家族に「お前たちは避難しなければいけないだろう。
わしが居ては避難しにくかろう」と言って自死したこと。
画像を見せながらの長谷川さんの話は、よりリアルに伝わりました。

参加者の声幾つか質問も出て長谷川さんに答えていただきましたが、
こんな提案をありました。
「こうした現実をネットで発信していますか?」と質問されて、
インターネットをしていないという長谷川さんの答えを聞いての提案でした。
「これはたくさんの人に知って欲しい現実です。
ネット配信できるように、そのための資金集めにカンパを募って、
ぜひ多くの人に知らせるようにしてはどうでしょう」
本当に、そうできたらいいと思いました。

「ひっぽの元気味噌」「かあちゃんの力プロジェクト」の菓子とお餅、
ぶさこちゃん物販としてこれらを並べましたが、
お味噌もお餅やお菓子は完売。ぶさこちゃんも、
たくさんの人に引き取られて行きました。

長谷川さんの本や写真集、雑誌『たぁくらたぁ』も、お買い上げ頂きました。
「秘密保護法」は、廃案に!この法律が実行されるようになったら、
原発に関する情報はこれまで以上に隠されていくことになるでしょう。
今日の長谷川さんのお話からも明らかですが、
情報が隠されたために多くの人が被曝し、
しかもその被害の実態も隠されているのです。何としても、
廃案にさせないといけないと思います。          

いちえ

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