ようこそ、フォーラム色川のホームページへ

2013.7.15その3

2013.7.15その3

みなさま

まだ会ったことはないのですが、飯坂に避難しているCさんのことを。

Cさんから初めてお手紙を頂いたのは、昨年の春のことでした。
児童書の出版社が出しているPR誌に書いたエッセーを読んだCさんから、
出版社を経由してその手紙が届いたのでした。
Cさんの実家は南相馬市で、結婚して小高区に住んでいました。

二人の娘さんと、息子さんが一人います。
Cさんもご主人も小高区にある学校で、先生をしていました。
3・11後、Cさんは子どもたちと飯坂に避難し
特別学級の先生の職を得て働いています。
ご主人は南相馬の学校に移ったので、
南相馬にアパートを借りてそこから通勤しています。
子どもたちは避難先の学校に転校したのですが、
小学生の次女が小高の学校に戻りたいと言って、
毎朝酷くごねて暴れるのだそうです。

Cさんからの始めの頃のお手紙は、
そんなことが淡々と綴られていました。

返事を書き、また手紙を頂きと重ねて来たのです。

Cさんの実家は農家で、お父さんは毎朝早く
米作りも野菜作りも出来なくなった畑に行っては、
草取りをしていると書かれていた手紙は、
何通目のことだったでしょう。

そこには、「農家は土と離れては暮らせないのです」と書かれていました。

六角支援隊で試験田をすることをお知らせしてから、
ふつりと手紙が届かなくなりました。
案じていたら、昨日電話を頂きました。

長い無沙汰を詫びるCさんの言葉に、胸が痛くなりました。

3度目の3・11を迎える頃から、字を書いたり、
本を読むことができなくなっていたと言うのです。

読書が好き、手紙や文を書くのが好きで、
読んだり書いたりが自分を支えてきたと思っていたのに、
手紙を書こうとすると字が乱れて文が続かなくなっていたと言うのです。

避難生活で家族は分断、
環境に適応できずに苦しむ次女への対応も大変なことでしょうが、
Cさん自身だって、いや家族の誰もがこんな理不尽な変化に戸惑っているのです。

そんな戸惑いになんとか折り合いをつけながら
毎日をどうにか過ごしていても、
あの日を周年する時期には、
そうと意識してはいなくても増大する不安が、
体の症状や行動に現れてしまうこともあるのではないかと思いました。

電話口のCさんは言いました。
この連休中に小高の家の掃除に、通っているのだそうです。
戸締まりはしっかりして出たので大型野生動物の侵入は免れているけれど、
鼠の害が酷いそうです。

「風呂にはタップリ水をはったまま避難したけれど、
2年数ヶ月の間に水はすっかり抜けてしまって、
その排水溝から侵入したらしいです。

風呂場にその痕跡が一番大きいですから。
家の中じゅう、鼠が荒し回って酷いことになってます。
明日は大型ゴミを回収してくれる日なので、
冷蔵庫や大きな物を外に出したところです。
だけどこんな状態では、放射能より鼠のために、
もうこの家には住めないんじゃないかと思ってます」

小高区は去年の4月の警戒区域解除で区域再編成されて、
帰還困難区域以外は昼間は自由に帰れるようになりました。

厨房用品を作っているタニコーは、
小高の工場での操業を再開しましたし、
掃除等で帰宅する人も居て、
昼間は人の気配のある小高です。

夜は、鼠が駆けまわっているのでしょうか。

小高に行くと、冷蔵庫や大きな家具類、
衣類や食品等の生活ゴミを詰めた
フレコンバッグが幾つも庭先や
道路際に積まれているのが目につきます。

フレコンバッグに詰めた生活ゴミは、
ようやく先月から市内のゴミ処理場に
順に運び込まれるようになりました。

冷蔵庫など家電類も仮置き場が決まり、
各家庭から運び出されることになりました。
目に見えるゴミは片付けられていきますが、
匂いも色もないゴミが残ります。
Cさん一家が、小高に戻れる日は来るのだろうか?
Cさんの娘さんがまた懐かしい級友たちと、
共に学べる日が戻ってくるのだろうか?
Cさんからの電話を切って、それを思いました。        

いちえ

a:1350 t:2 y:0

powered by Quick Homepage Maker 4.85
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional