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2013.7.8その1

2013.7.8その1

みなさま

☆フォーラム色川主催の講演会が7月6日、武蔵野公会堂でもたれました。

「チベットのこともチェチェンのことも福島のことも、わたしたちは何を知っているだろう
メディアが伝えない真実を語る」

上記のタイトルで、ジャーナリストの林克明さんと私が話しました。

この講演の依頼があったのは3月か4月のことだったと思いますが、
その時は私は、タイトルにあげられたチベット、チェチェン、福島の
3つの地に共通しているのは、そこで起きたこと、
当事者にとっての真実がきちんと伝えられていないということだと思っていました。

もちろん、だから講演会タイトルの後半の言葉があるわけですが。

そしてまた、チベットとチェチェンに共通しているのは、
大国に蹂躙される少数民族という点だとも思っていましたが、
またこれは観点を変えれば福島にも当てはまると思っていました。

林さんのお話を聞いて私は、上に記したような私の捉え方は
とても浅いものだったと気付かされました。

林 克明さんのお話から

●チェチェン共和国のあらまし

チェチェンは黒海とカスピ海に挟まれ、
カフカス山脈の北麓にある岩手県ほどの面積を持つ小国で、
北部は農業と原油生産の盛んな平野部で、南部はカフカス山脈につながる山地。

戦時には北部は外的に制圧されやすく、
南部は地理的特性から抵抗勢力の拠点となる。

独自の言語、文化を持ち、西隣のイングーシ共和国のイングーシ人と殆ど同じ言葉を話す。

ロシアやコーカサスの他の民族と違い、
チェチェンには貴族や奴隷といった階級的な社会構造はなく、
氏族の長老たちによって治められ、「平等」の基盤を持っていた。

●チェチェン戦争とは

チェチェンを含む北コーカサス地方は、
イワン雷帝が即位して以来400年にもわたってロシアの侵略と支配を受け続けてきた。

それに対して帝政ロシア時代、ソビエト時代を通じて、
コーカサスの諸民族の中で、
植民地化に最も強く抵抗してきたのがチェチェンだった。

第二次大戦中には民族全体が強制的に移住させられ数十万人が命を落とした。

ソ連が崩壊した1991年にチェチェンはロシアからの独立を宣言し、
その後は事実上の独立状態にあったが、
1994年から再びロシアからの軍事侵攻を受けた。

チェチェンは自国を独立国家と規定しているのでロシアの攻撃は、
外国領土への侵略だが、ロシアはチェチェンをロシア連邦の一地方と看做し、
チェチェンの抵抗を「テロ」と呼ぶ。

1991年の独立宣言以後、ロシアとの間で紛争は続いていたが、
1994年12月、エリツィン大統領は
「ロシア連邦の一部であるチェチェン共和国での憲法秩序を回復させ、
すべての非合法武装勢力の武装解除を行わなければならない」と演説して
チェチェンへの武力介入を命じたことから第一次チェチェン戦争が始まった。

すぐにゲリラ部隊を中心としてチェチェン軍の抵抗が始まったが、
1996年4月、チェチェンのドゥダーエフ大統領が爆殺された。

そして、ロシア国内の厭戦気分の高まりもあり、
和平交渉が行われ停戦が成立した。

1年8ヶ月にわたる戦争でチェチェンの国土とインフラは大きな打撃を受け、
首都グローズヌイは壊滅的に破壊され瓦礫の町となった。

1999年に始まった第二次チェチェン戦争は、
第一次戦争出事実上の敗北を喫した大国ロシアの”復讐”戦争とも言える。

第二次戦争は更に苛烈となり期間も長く、
第一次戦争と同様にチェチェン各地で掃討作戦が続けられ、
これによりブラジーミル・プーチンは
ロシアの権力者として盤石の態勢を築きました。

2009年に独立派のマスハードフ大統領がロシア軍に殺され、
ロシアは「対テロ作戦」の終了を宣言、
現在はロシアの傀儡であるカジーロフ政権が共和国内の権力を握っている。

●林さんは1995年からモスクワに住み、その年の3月、
モスクワからチェチェンを目指したロシア人兵士の母親たちと
チェチェン女性たちによるモスクワから
グローズヌイまでの平和行進に参加しました。

当時のチェチェンではロシア軍による大規模な虐殺が起き、
あたりは瓦礫の山、交通機関も電車も水道も全面的にストップしていました。

人々は逃げ惑い、不明の家族や親戚・友人たちを捜して大混乱の状態でした。

ロシア軍は住民たちを拉致し、強制収容所に送り込んだりもしていました。
そのような状況下のチェチェンにロシアの母親たちは押し寄せ、
行方不明の息子を探したそうです。

ロシア当局は、兵士の家族に何の情報も与えていなかったからです。

チェチェンの人々は、大挙して押し寄せたロシア兵の母親たちに食糧や宿を提供し、
車を提供するなど協力を惜しまず、精神的にも支えていたそうです。

いま、目前で自分たちの町や村を破壊し、
家族や友人を殺し拷問しているロシア兵の、
母親たちを助けていたそうです。

その姿に林さんは魂を揺さぶられ、
チェチェンには人類にとって大切な「何か」があるに違いないと確信し、
以来何度もチェチェンを訪ねています。

●ウェズデンゲル

何度も訪ねる中で、林さんはようやく、その「何か」を見つけます。

それがチェチェンの人々に語り継がれてきた「ウェズデンゲル」です。

ウェズデンゲルは、チェチェンにイスラム教が普及する前から存在していた、
いわばチェチェン精神の源です。

民族の精神を伝える根幹であるにもかかわらず、
独自の文字がないために口伝えで受け継がれた来たものです。

高潔、忍耐、寛容、勇敢、慈悲、仲裁、自由などの概念を
具体的なエピソードで口述してきたもので、
コーランや聖書のような聖典ではありません。
ウェズデンゲルで最も大切なことは、自由〈マルショー〉です。

それは、「自分の意思で自分に課した道徳に即して自分を保つこと」なのです。

チェチェン社会は身分制度がない平等な社会で、
ロシア化されるまでは金銭や権力よりも、精神性が重んじられてきました。

有力者が豊かになっても衣服や食べ物は質素で、
一定以上の財産を得たら他者に分け与えていました。
それをしなければ村から追放され、社会的に抹殺されたのです。

自由(私欲追求の自由)を厳しく制限することによって、
自由と平等を確保し、各村は自治を行っていました。

大きな問題が起きる場合は、
長老(選出された人物)で構成された全国会議が議論し、
決定していました。

全国会議と集落の、連絡と調整をはかる役職も存在していました。

義務についても言及され、人間が引き受ける義務とは、
自分自身→家族→氏族→村→民族→国に対してです。

あくまでも自分自身が出発点で、最後に国があります。
決して逆になることはありません。
これが、ロシア帝国に併合される前のチェチェンでした。
チェチェン魂の抹殺に抗して、チェチェン戦争は起きたのです。
彼らにとって最大の美徳は、「自由」です。

●林さんは言います。

3・11後大変な状況になっているにもかかわらず
政府は原発事故の「収束」を言い、更に原発輸出まで言い出している。

明治維新以降日本は近代化の歴史を歩んできたが、
日本を今より良くするためには、
以前から脈々と続いてきたものがとても大切ではないか。

日本には、主権在民、基本的人権の尊重、
非戦を柱にしたすぐれた憲法がある。
その憲法の理念を中心に国を導こうとすることは正しいが、
それだけでは無理があるのではないだろうか。

仏教、儒教や、それらが伝来する以前からの古神道、
また文化、慣習、生活様式などもとても重要で、
それらの、長い間受け継がれてきた独自のものがないと
軍国主義やファシズムに対向できないのではないだろうか。

伝統を重んじれば、それを悪用する右翼や権力者が現れるが、
伝統を無視しては画上の餅でしかないだろうし
限界や無理があるのではないだろうか。

●林さんの言葉は、私の中で明文化できずにいた思いを言い当ててくれたように思えました。

私は3・11後福島に通っていますが、
原発事故の被災者の感情と政府の対応との、
あまりにも大きな乖離は、補償問題や情報の隠蔽問題などなど、
新聞紙上や市民運動の中などで問題にされていることばかりではないと思えていたのです。

例えば津波で流された家族を探せないまま、
原発事故後に避難せざるを得なかった人たちの思いは、
憲法でうたう基本的人権の解釈だけでは説明が出来ないのではないでしょうか。

チェチェンのことを知る上でも、また林さんの視点を伺えた上でも、
私にとっては大きな収穫のあった講演会でした。

私は久しぶりにチベットのことを話しましたが、
参加者の方達にチベットの今をお伝えできたことも嬉しいことでした。 

●林さんのご著書を紹介いたします。

『カフカスの小さな国 チェチェン独立運動始末』小学館

『チェチェン 屈せざる人々』岩波書店

『チェチェンで何が起こっているのか』(共著)高文研

『チェチェン民族学序説』(特別寄稿)高文研

『文筆生活の現場』(共著)中公新書ラクレ

『安ければそれでいいのか』(共著)コモンズ

長文になりました。どうぞご容赦を。               

いちえ

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