ようこそ、フォーラム色川のホームページへ

2013.9.3 8.31トークの会と9.1集会のご報告

2013.9.3 8.31トークの会と9.1集会のご報告

みなさま

●報告①
トークの会「福島の声を聞こう vol.7」を終えました。
とても暑い日でしたが、セッションハウスの会場いっぱいに
たくさんの方が参加して下さいました。
おいで下さったみなさま、ありがとうございました。

南相馬市原町区萱浜の、上野敬幸さんに話していただきました。
上野さんのことはトークの会のご案内チラシで少しご紹介をしましたが、
原書房で出版された『ファインダー越しの3.11』
(安田菜津紀、佐藤慧、渋谷敦志/共著)、
角川書店『3・11行方不明 その後を生きる家族たち』(石村博子著)
に書かれていますし、また私も『たぁくらたぁ』28号に書いています。

萱浜の集落60数戸はすべて津波で流され、
70数名が亡くなっています。
上野さんのご両親と二人のこどもさんも津波に呑まれ、
お母さんと娘さんはご遺体で見つかり、
お父さんと息子さんは行方不明のままです。

地元消防団の班長だった上野さんは、
震災当日から家族や地域の人たちの捜索を始め、
原発事故後も避難せずに捜索活動を続けています。
消防団の仲間たちも避難先から戻ると、
仲間たちも一緒に捜索活動と共に津波で流されて
礎石だけになった集落の家々の瓦礫の片付けも始めました。

やがてボランティアも活動の支援に加わるようになり、
上野さんは「福興浜団」という組織を立ち上げて、
いまも捜索、海岸清掃、草取りの活動を続けています。
当初は活動範囲は南相馬市の原発から20キロ圏外でしたが、
区域再編成後は小高区、浪江町、富岡町、
楢葉町と、活動の範囲を広げています。

また、津波で子どもを亡くされた家族に
クリスマスのプレゼントを届けたり、
地域の小学校の子どもたちをディズニーランドに連れて行くことや、
鎮魂の思いを込めて花火大会などを催し、
子どもたちの笑顔が地域に戻るようにとの活動も続けています。
あの日以来のことを話してくれた後で、上野さんは言いました。

「震災前には生きていることが当たり前だと思っていたが、
本当は希有なことだったのだと気がついた。
それまで自分は親に対して
『ありがとう』という言葉を言ったことがなかった。
何かしてくれても、親なんだから当たり前だと思っていた。
(あの日が取り戻せるなら)『ありがとう』と言いたい。
子どもたちを抱きしめて、『ありがとう』『ごめんね』を言いたい。
どうか、みなさんも今あることが当たり前だと思わないで、
『ありがとう』『ごめんね』という言葉を、ちゃんと伝えて下さい。
いま出来ることをしっかりやって、後悔のないように生きて欲しい」

上野さんの言葉は、私たちの胸に深く響きました。
また会場には渋谷敦志さん撮影の写真パネルも展示されていて、
上野さんのお話はより一層リアリティを持って、私たちに届きました。

●報告②
昨日9月1日には、第39回「9・1集会」が開かれました。

関東大震災・朝鮮人虐殺から90年、
在日韓国朝鮮人の人権獲得闘争39周年という日です。
1923年9月1日に起きた関東大震災の中、
数千人もの人々が「朝鮮人」というだけで、虐殺されました。
当時日本は大韓帝国を「併合」と称して植民地化し、
「土地調査」の名目で土地を取り上げ、生活のすべてを奪いました。

そのために多くの朝鮮人は生きるために日本に働きに来ざるを得なくなり、
その中で関東大震災と虐殺に遭遇したのでした。
故 崔昌華(チォェチァンホァ)牧師は1975年9月1日に、
北九州市に在日韓国人・朝鮮人の参政権を含む諸権利を要求した
公開質問状を提出した時から、
「在日韓国人・朝鮮人の人権獲得闘争全国連絡会」
の主催で始められた「9・1集会」です。
会の代表であった牧師が亡くなられてからは、
「9・1実行委員会」が主催して続けられている集会です。

この日は始めに、崔昌華牧師講演の映像記録が流され、
次に辛淑玉(シンスゴ)さんの講演
『在日としての課題 ー私の場合−』がありました。
辛さんの話を聞くのは初めてではありませんでしたが、
昨日の辛さんには、これまでのどの時よりも大きく心揺さぶられました。
まだ記憶に新しい、在日の有名人に関する幾つかの出来事を話した後で、
辛さんは参加者に問いかけます。

例えば、亡くなったつかこうへいさんの「
つかこうへい」というペンネームは、
「いつか公平」から付けたというエピソードを語った後で、
彼の遺書を読み上げました。
読み上げられたそれを、私は正確にすべてを覚えていませんが、
墓も要らない、戒名も要らない、
骨は対馬海峡にさん骨して欲しいというような内容でした。
辛さんは、「この中に、私の先輩の在日たちの誰もが
同じように言う言葉があります。
それは、どの言葉でしょう?」と、問います。

会場の一番後ろの席に居た若い男性が、
「海に散骨して欲しいという言葉」と答えると、
「そうです。在日の先輩3人に聞けば3人ともが、
自分が死んだら骨は対馬海峡に流してと言います。
その心はなんだと思いますか?」と、言葉を続けます。
「日本と半島の架け橋になるように」ということもありますが、
死んでも行き場がないからなのです。
日本に居ても、韓国に帰っても、自分の行き場がないのです。

そして、3・11の後で、孫正義さんが100億円の義援金をカンパし、
ユニクロの柳井正さん、楽天の三木谷浩史さんが、
どちらも10億円の義援金をカンパしたことを話し、

「孫さんに対して、在日の人たちはどういったと思いますか?」
と問いかけます。
「すごいな」という声や
「日本人のために使うより在日のために使え」
という声もなかにはありましたが
「保険だな」という声が多かったと言います。

孫さんは日本国籍も取っていますが、自身が、
また在日の同胞たちが、日本で生きていくために払われた保険だというのです。
これらの問いかけとその答は、「在日」という立場が、
それまで私が考えていたよりもはるかに、
はるかにこの国では生きにくいのだと知らしめたのでした。

こうした話から入って、3・11の直後から被災地に取材に入って
見聞したことを話してくれましたが、
辛さんの口から語られる言葉はどの一つも、
日本人が見落としていた事実、
辛さんだから見落とさず聞き漏らさずに取材できた事実を語り、
私は最後まで圧倒されながら聞いていました。 

終わりに辛さんはご自分の家族のことを話し、
さまざまに差別をされて生きてきた在日の立場から
”ヘイトスピーチ”の在特会に対して
「しっかりと向き合って、おとしまえを付ける」と言い
「のりこえネット」を立ち上げることを宣言されました。
9月25日に記者会見をするそうです。

辛淑玉さんの講演を聞くことで、
私は自分が気付かなかったことを多く学びました。
この日、この集会に参加できて良かったと思いました。

辛さんののりこえネットではありませんが、
9月23日には「差別・排外主義に反対する連絡会」
によるデモが予定されているそうです。
ヘイトスピーチに対して、
反対の声を大きく挙げていこうとのデモです。

☆お知らせ①
9月8日(日)13:00〜16:00、
小平中央公民館で開催される「2013母親大会in小平」で、
私は『今もあなたに福島の声が届いていますか』の演題で話します。

講演時間は13:10〜14:30です。
お近くの方、お時間がありましたらご参加下さい。

☆お知らせ②
六角支援隊の大留隆雄さんが、ラジオ深夜便に出演します。
9月10日、AM4:05からの「明日へのことば」の時間です。
大留めさんの話、ぜひぜひ、お聞き下さい。
少々早い時刻ですが、「早起きは三文の徳」です!

長文でごめんなさい。

a:1344 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 4.85
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional