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2014.2.19

2014.2.19

みなさま

2週続きの雪で山間部など各地の被害は大変な様子ですが、差し障りなくお過ごしでしょうか?恙なく過ごされていますようにと、祈ります。

15日(土)、クレヨンハウスの「朝の教室」では、
むのたけじさんの「原発と戦争、大人の責任」と題してのご講演がありました。
17日は、トークの会「福島の声を聞こう! vol.9」でした。

むのたけじさん水気をたっぷりと含んだ雪の翌日の15日、
電車やバスなど交通機関も遅れや不通があったりしたのですが、
予定通り9時に開催されました。開始の頃はまだ会場に辿り着けない方達もいらして、
後ろの方は空席が多かったのですが、
やがていっぱいの人で埋まっていました。
戦時中朝日新聞の記者だったむのさんは
、時局に迎合する戦時報道姿勢に矛盾を抱いて、
戦後辞職されてフリーランスのジャーナリストとして活動されてきました。99歳のむのさんの力強い口調に、圧倒されながらお話を伺いました。

都知事選挙では脱原発候補を一本化できないままでの闘いだったが、
その二人の票を併せたよりも、舛添氏の得票率が高かったことを言われながら、
これまでの原水禁と原水協の問題にも言及され、
なぜか日本では「これで国の態勢が変わるかもしれない」という時にもそうならず、
運動が尻切れとんぼのようになってしまってきたことを話されました。

・昭和22年(1947年)2月1日、米軍領下ではあったが
全官公労がゼネスト宣言をしたが、マッカーサーの命令を受け、
全官公労委員長は涙ながらに前夜のNHKニュースで、ストは中止すると伝えた。

・1960年、安保闘争で60万人以上ものでも参加者が連日国会を取りまいたが、新安保条約成立後は、運動は消えた。

・反ベトナム戦の闘いでも、運動は尻切れとんぼになった。

・三里塚闘争では地元の女性たちがオワイを被って、その体で機動隊に抱きついたりして機動隊を退けさせたりの闘争までしたのに、これもすぼんでしまった。

・なぜこんなふうに尻切れとんぼになってしまうのかを考えると、
これは日本が近代国家になったと言われる明治維新から、
ずっと続いていることだ。明治憲法では国民は、「臣民」とされている。
「臣」とは、主君に仕えるもの、家来ということだ。
我々が、まだ国民として育っていないのではないか?1945年8月15日、
“玉音”放送を聞いても、国民はみなポカ?ンとした。
変わるべき時に上から頭を抑えられると、しぼんでしまっていたのではないか。


最近になって、幼児教育の現場にいる人などからの講演依頼を受けることが多くなっている。始めは自分は子どものことや幼児教育のことは判らないからと断っていたが、考えてみれば自身が親として子育てをしてきたのだから
断らずに受けるようになった。
そうして子どもたちを巡る話をしていく中で、判って来たことがある。
5歳までの子どもの魂を、まっすぐに生かしていくことが大事なのだ。

子どもは自分に正直だ。嬉しければからだ中で嬉しさを表すし、
悲しければからだ中でそれを表現する。自分の気持ち・魂に偽らないこと、
そのことが人間として一番大事なことなのだ。
“国際連合”などと言うが男社会ではなく、
これからは“子ども世界連合”“おなご世界連合”を
作っていくことが大事ではないか。
みなさんも、自分を大事にしてください。

「友達を大事にしましょう」とか「親を大事に」
「子どもを大事に」とか言うけれど、友達をいじめたり親や子を虐待してはいけないが、それよりも大切なのは「自分を」大事にすることだ。
自分を大事にしなくて、どうして他を大事にできる?
今99歳の私の次の本は、もうタイトルは決まっている。
それは『抱きつ抱かれつ、生かされつ生きつ』です。

トークの会『福島の声を聞こう!vol.9』今回のゲストスピーカーは、
六角支援隊の大留隆雄さんでした。

・大自然と、動物としての本能大留さんは、
ご自分の子ども時代のことから話し始められました。
北海道の大雪山の麓の山村での暮しで、
ある時15歳ほど年長の従兄が鉄砲を持って訪ねてきた。

兎狩りに行くから勢子として手伝えと言われ、
妹と二人でスキーを履いて兎を追い出した。スキーを履いていても、兎に追いつけるものではない。追っても追い付けず、そのうち従兄の姿が前方に見えてた時に従兄は鉄砲を撃った。妹と二人、自分たちが狙われたかと思い慌てて地面に伏せた。しばらくして顔を上げてみると、従兄と自分たちの間で兎が倒れていた。兎の習性で、兎は直線を描いて逃げるのではなく円を描くように逃げるので、従兄は兎の姿を始めに見つけた場所で待ち構えていたのだった。これは従兄が自然の本能を、よく知っていたからだ。

もう一つ、今度はその本能を利用して人間が金儲けをすることを。鶏を飼うのに“バター飼い”(バタリー飼い?)という方法があってケージで飼って、夜も明るく照らしておき、餌も昼夜いつでも与えていく。通常なら鶏は、暗くなれば眠り、卵を産むのも週に4、5個ほどだが、このような飼い方だと鶏は昼夜が判らなくなり、いつでもえさを食べ、卵を産む回数も多くなる。当然寿命は短くなるが産卵数が増えるので、養鶏家は儲かる。(注:ただし現在はこの飼育法は禁じらていると思います)

なぜ僕がこんな話をするかと言うと、自然や本能はとても大事なことなんです。原発は、それとまったく反対のことなんだよ。田舎に住むのは、春になれば山に行って山菜を採ったり、秋には茸採り、川で魚釣ったり、海では魚や貝や、海藻を採って食べる。そんな風に自然に恵まれた中で、じいちゃんとばあちゃん、親と子ども、何世代もが一つの家族として暮らしてきたんだよね。それが原発事故で、家族はバラバラ。山にも川にも、海にも行けない。故郷を壊されちゃった。故郷を壊すのが原発なんですよ。今も福島県から他所へ避難している人が、138,500人。これだけの人が外に出てしまって、もう若い人たちは戻らないでしょう。移った先で生活を作っていくだろうから。

都知事選で元幕僚だった候補者は原発は安全だなんて言って、得票率は10%もあったけど、あの人にはもっと発言してもらいたかった。原発は安全なんだから、東京に原発を作ろうって言って欲しかった。そうしたら、10%の得票率はどんなだっただろうね?東京の人は脱原発候補者に勝たせなかったことを、よく考えて欲しい。

東京都知事選むのさんも大留さんも、都知事選について話されました。むのさんのお話が終わった後、宇都宮候補の勝手連だったという一参加者が、むのさんが細川候補に一本化するために宇都宮候補に下りるように働きかけたのはなぜかと、詰問調で質問しました。聞いていてとても嫌でした。投票日前日の記者会見のことを言ったのだと思いましたが、むのさんの発言はまったくそうではありませんでした。ただただ、一つになって欲しいという思いを話されたのであって、どちらかに組しての発言ではありませんでした。むのさんのお答えから、質問者は「判りました」と言いはしたのですが、そう言った後も彼女は、宇都宮候補支持の自分のところには選挙期間中、細川支持者側から多量の誹謗メールが届いたということを長々話し始めたのです。司会の落合恵子さんが、「そういうことを言い合うのはやめましょう。残念な結果でしたが、だからこれから一つになっていけるよう、わたしたちは努力していきましょう」と話し、会場からは大きな拍手が沸いたのでした。

私自身も、今回の選挙では本当に迷いました。
いつもだと友人知人たちに、私の推薦する候補者に投票してくださいと
お願いをするのでしたが、今回は宇都宮さんと細川さん双方の政策を伝えてどちらに投票するか自身でよく考えて、とにかく絶対に棄権しないで投票して欲しいと言うことしか頼めませんでした。そして私自身は、迷った末に「自分の信念に従おう」と考え、
投票しました。選挙期間中には、また選挙が終わってからも、
私のところにも、双方の支持者からさまざまなメールが入りましたが、
そのどちらも相手を責める言葉でしたから、
クレヨンハウスでの落合さんの発言に、私も心からの拍手を送りました。
むのさんの言った、”子ども世界連合”、“おなご世界連合”の繋がり作りに、
私も心砕きたいと思ったことでした。                       

いちえ

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