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2014.3.24その2

2014.3.24その2

大波小学校数日前のニュースで、「たった一人の卒業式」の記事がありました。
福島県福島市の大波小学校の記事でした。
ここは私も「たぁくらたぁ」の野池さんや環境学者の関口さんと
共に訪ねたことのある地区ですが、初めて訪ねた2012年冬には、
訪問先の農家の廊下には60キロ入の米袋が積み並べられてありました。

本来なら出荷していたものですが、
前年秋の検査で同地区の米から放射性物質が検出されたために、
大波の米はすべて出荷できなくなっていたのです。
子どもの居る家庭では他の地へ避難する人も多かったため、
それでこの春の卒業生はたった一人だけだったのしょう。

学校は地域の“公民館”昨日Sさんのお宅を訪問して話を聞きながら、
大波小学校の卒業式を思っていました。
また、纐纈あやさんのドキュメンタリー映画『祝の島』の
小学校の入学式のシーンを思い出しても居ました。
島の分校の入学式で新入生は一人だけ、
上級生の二人はその子のお兄ちゃんとお姉ちゃんなのです。

Sさんを紹介してくださったCさんは
南相馬の小高から福島市に避難していますが、
被災前の勤務先の小学校でのことを話してくれました。
ある日の放課後ふらりとやって来たおばあさんがいたので、
「こんにちは。何か御用ですか?」と尋ねたそうです。
するとおばあさんは、「おらはここの卒業生ではねぇし、
子どもも孫もここの卒業ではないけど学校がなんか、
懐かしくて見てみたかったんだ」と言ったそうです。
Cさんは、「ここは避難場所にもなるとこなんだから、
どうぞ見てください」と答えたと言います。
それを話してくれた後で続けて、Cさんは私に言いました。
「運動会や学芸会も、児童と親や家族だけでなく
地域の人たちの楽しみでもあるんですよね。学校は公民館なんですよ」

Cさんの言葉に原発事故で失ったものの大きさを、また思いました。
昨日の「一枝通信」では、
複数校が避難先の一カ所で開設された例をお伝えしました
校舎は複数校が合同で使用していて、
複数の校長先生が居るという例です。
Cさんの「学校は公民館」という言葉に、
単純に「校長は一人にすれば良いのに」とは言い切れないと思い至りました。

いろいろな意味で効率だけを考えれば確かにそうなのですが、
住み慣れた地から避難してきた人たちの気持ちを思うと
必ずしもそうは言い切れないと思ったのです。
A小学校とB・C小学校があって、
その中でB小学校の校長先生を残して
A・C小学校から校長先生を外すということは、
住民からすればA・C小学校は消されてしまうと思えるでしょう。
Cさんの言葉から、その喪失感を思ったのでした。

たった一人の児童・生徒であっても本来、
義務教育は必要とする児童・生徒が居るなら、
それがたった一人であっても国や行政は教育の機会を与えるべきなのだと思うのです。
保護者に義務を押し付けているものではなく、
国や行政にその義務があるとしているものだと思うのです。

たった一人の卒業式を終えた大波小学校も、
たった一人の入学式だった祝島小学校も、
その理念での卒業式であり入学式だったのだと思います。
避難先で学校を開設するなかで
先に記したような問題が起きてきていることは、
こうした理念にもまた深く影響を及ぼしているのだと思いました。
これもまた、原発の及ぼす負の面ではないでしょうか。               

複数校が一カ所で開設されたのは、飯舘村ばかりではありません。
大熊町、富岡町楢葉町など、相双地区の他の町村にもあるのです。                     

いちえ

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