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2014.3.25その1

2014.3.25その1

チベットにも飛んでいった“ぶさこちゃん”
トークの会「福島の声を聞こう!」でご紹介している
縫いぐるみの“ぶさこちゃん”は、
小池第3と小池長沼の仮設住宅の方達が作っているものです。

両仮設からは、作ったものが溜まると私宛に送られてきます。
“ぶさこちゃん”ばかりではなく、
その他にもパッチワークのポーチや彩りのきれいな糸で編んだミサンガ、
フウセンカズラの種を顔にした小さなサルボボ人形9体を南天の枝に飾った
“苦難去る”など、様々な手芸品が届きます。

前回の2月17日のトークの会の後で、
また両仮設住宅からそれらがたくさん届いていました。
ちょうどその頃、我が家にはチベットからの友人が滞在していました。
彼に「これはどうしたんですか?」と聞かれ、

福島の被災者の人たちが作ったものだということや、
それらは私のトークの会や私の友人が自分たちで催すイベントで、
参加者にカンパで分けているものだということを話しました。

外国の友は「私がチベットの友人たちのお土産に、
いただいていって良いですか?もちろん気持ちのお金をお払いします」と言い、
トランクに入れて帰国しました。
今日、小池長沼の志賀さんと小池第3の黒沢さんに、
集まったカンパ金をお渡ししながらその話をしました。
「え?っ!チベットにまでも“ぶさこちゃん”はお嫁入りしたんですか?」と驚かれ、
喜んでくださいました。
その声を聞いて、私も嬉しいことでした。

3年経って、これからが大変以前にもお伝えしましたが、
復興住宅や集団移転なども進んできて、
また個人で家を建てて移っていく人たちも出てきています。
「復興住宅」と聞けば、復興されてきていると思われますが、
実際には今までとは違った大変さがいろいろ生じてきていますし、
これからは更に大変さがましてくるのではないかと思います。

Kさんは小高区の自宅が津波で流され、
ご主人と娘さんをなくされています。
長男家族と、次男は無事でした。
Kさんと息子たちは、鹿島区の仮設住宅で
それぞれ別の住居で暮らしています。
中学生の子どもを持つ長男は、小高区にはもう戻らないと決めています。
そして集団移転の土地を購入することにしましたが、
土地代金が高騰しているのです。
小高区の土地を売ろうにも、
そちらの価格はとても廉価になっていて
二束三文で買いたたかれるか売れないだろうと言われたと言います。

Kさんのように津波で家を流された人も大変ですが、
20キロ圏内の家が残っている人も、また大変です。
古くからの農家が多い地域ですから、
自分の代で家をつぶすわけにはいかない、
それでは先祖に申し訳がないと言います。
だからたとえ傾いた家でもそこに戻って、
農業を再開するだろうと言います。
けれども子どもたち家族は避難先で生活基盤を作ったので、
もう戻らないだろうと言います。
自分たち夫婦が農業を再開しても、
続けられるのはせいぜい後何年か?
そして農業を再開しても作物が売れるかどうか判らない、
生活の手段が保てるのかどうか?
いつも朗らかで怒ったり嘆いたりすることのないHさんにも
悩みは大きいのです。

「大丈夫、その頃はみんな惚けちゃってるよ
」小池第3の集会所で、みなさんと話していた時でした。
上に記したように仮設から出て
新たな暮らしを始めていく人たちが現れだしていますが、
「また知らない人の中で暮らすことになるんだよね」
「ここに来た時も初めはみんな喋れなかったよね」
「ようやくこんなして笑って話せるようになったよね」と、
そんな話が出たのでした。

誰もが、ここで苦楽を共にした人たちと
また別れなければならないことを思っての言葉でした。
狭い仮設住宅で隣の声や隣の玄関を押すチャイムは聞こえるのに、
自分の家のチャイムは聞こえないような部屋の作り、

また狭い台所での調理にはみんなそれぞれに苦労していることも話しながらも、
ここを離れて新たな生活に向かうときの不安を抱えているのです。
とは言ってもここを出て新たな暮らしになるのは、
みんなまだ少し先のことです。
「元の家に戻ったり、集団移転や復興住宅に移った後で、
またどこかでみんなに会ったらきっと懐かしくて泣くよね。
涙が止まらなくなるよ」と一人が言ったら、
Hさんが「大丈夫。その頃はもうみんな惚けちゃってて、
誰だか思い出せなくなってるよ」と言ったので、
みんな大笑いでした。
私も一緒に大笑いをしたのですが、なんて悲しい笑いだったろうかと思いました。
でも「笑うのは良いよね。こうしてみんなで笑えるのは嬉しいよ」と、
これもまたそこにいたMさんの言葉でした。

また、一人…Aさんからの電話で、知ったことです。
Aさんの知人が亡くなって、
いま警察が来て検死をしていると言うのです。
まだ50代の人でしたが、仮設住宅で一人住まいだったそうです。
亡くなって数日後に、発見されたそうです。
以前にも、他の仮設住宅で同じような話を聞きました。きょうも、また。                                      
相馬野馬追午後はこれからの生き甲斐を野馬追に掛けている方に話を伺いました。
ちょうぶんになりますので、また3月25日②でお伝えしたいと思います。         

いちえ

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