ようこそ、フォーラム色川のホームページへ

2015.2.10その2

2015.2.10その2

牛越仮設住宅
南相馬市の応急仮設住宅は当初は30キロ圏外の鹿島区から建設され、
震災か拉3ヶ月後の2011年6月から、
出来上がったところから順次入境が始まりました。
鹿島区だけでは間に合わず、
また線量も低い30キロ圏内の原町区にも作られて、
2011年10月から入居が始まりました。

南相馬市には現在仮設住宅が30カ所ほどあります。
牛越仮設住宅は一番後のできた仮設住宅で、
原町区牛越に在って379戸と、一番大きな仮設住宅です。
広い敷地に何か所かに別れて住宅群が在りますから、
集会所も何か所か在ります。
2カ所の集会所を訪ねました。
この仮設住宅を訪ねるのは初めてのことでしたから、
市議の田中京子さんに同行をお願いして訪問したのです。

◉第1集会所
● ♪相馬流山♪ の練習
そこでは、集まった方達が ♪相馬流山♪ の踊りの練習をしているところでした。
みなさんに挨拶をして、見学させて下さいとお願いしたのです。
踊りを指導していた方やみなさんは「どうぞ、どうぞ」と言って下さったのですが、
一人だけ、「私はいやだ!」と言った方が居ました。

でもその声を無視して、指導していた方は
「どうぞ、遠くから来たんだから見ていって下さい」と言い、
他のみなさんも「どうぞ見て下さい」と言うのです。
そして指導する方も他のみなさんも口々に、

「今度東京に行ってお見せするんで、練習してるんですよ」
「え?東京?岡山じゃないの?」「ああ、そうそう、岡山、岡山に出前だった」
などと全く屈託なく、また指導していた方も、
「毎年いろんな所へ行って ♪相馬流山♪ 見てもらってるんだけど、
今度は岡山です。ここに居る人たちはその踊りの人たちでこの人は◯◯の人、
こっちは◯◯、その人は◯◯…」などとみなさんを紹介してくれたのです。

「岡山で披露するのが3月6日だから、
もう今日からは私は一人一人名指しで
ダメなとこ直してやろうと思ってるんです」
みなさんは洋服姿ですが、一人だけ着物姿の先生は
帯に挟んだ扇子をパチっと鳴らして、そう言いました。

そこにいたみなさんは一人を除いて、初めて会う方ばかりでした。
見知ったことのある方に、
「どこかでお会いしてますよね?」と言うと
「ええ、仮設で会ってます」と答えが返り、やっぱりそうでした。
小池長沼の仮設に居る方でした。

私は「お嫌な方がいらっしゃるのを、
無理はしたくありませんから今日は失礼します。
練習を中断させてしまってごめんなさい」と言って、
失礼することにしました。
それでもまだ先生を始めとしてみなさんは、
「いいんですよ。どうぞ見ていって下さい」と言って下さったのですが、
再度お詫びをして辞しました。

●カズちゃんのこと
第1集会所での踊りの練習は、この仮設に居る同好者の趣味の会ではなく、
この指導者の元に集まっている相馬流山を踊る人たち、
いわば"相馬流山保存会”あるいは"粗真流山普及会”
というような方たちの練習だったのです。

そういえば以前、六角支援隊のビニールハウスで
収穫した野菜の放射線量測定に、
測定機のある生涯学習センターに行った時のことです。
一緒に行った六角支援隊の荒川さんが、
そこで出会ったた女性に声を掛けていました。
「あら、カズちゃん、元気だった?
どうしてっかなぁって、心配してたんだよ」
声をかけられた女性は、
「うん、中に籠ってばっかり居たらおかしくなっちまうから、
今日はここで踊りの会があるってから、出てきたんだ。
あれから初めてだ、踊りに来るのも。忘れてんじゃないかと心配だ」
と答えていました。
それを聞いて荒川さんは、
「そうだね。少しずつでも、そうやって外へでた方が良いよ。
無理しないで、気が向いた時に少しずつね」と答えました。
荒川さんの話ではカズちゃんは荒川さんの地区の人で、
津波で家を流され家族を亡くし、
借り上げ住宅に一人で住んでいたそうです。
踊りが趣味で相馬流山の踊りの会に入って、
全国あちこちに踊りに行っていたのに震災後は
仮設住宅に入らず借り上げ住宅住まいで、
引きこもりのようになっていたそうです。

●京子さんの話

同行してくれた京子さんの話では、以前には京子さんも
この踊りの会のメンバーだったそうです。
「♪相馬流山♪ の出前は、南相馬を他所の人たちに
知ってもらうのにとてもいい宣伝になるけれど、
みんなの気持ちが一つでないのは残念」と、京子さんは言いました。
嫌だと言ったのは石神地区の人で、
以前から、人の言うことにはいつも難癖をつけて
仲間との折り合いが悪かったそうです。
そうだったのかもしれませんが、
私にはそれだけではないように思えてなりませんでした。

石神地区は原発から30キロ圏内ですが、
海から離れていて津波を受けていず、
その人の家は地震の被害もなく全く無事で、
震災後もずっと自宅で暮しているそうです。
前の晩の鹿島区の“不良老年“の飲み会で、
30キロ圏の線引きによる心の分断を聞いた私には、
原発事故後の政府・東電の措置が、
頑な心をなお一層頑にさせてしまっているのではないかと思えました。

原発事故によって、現地では誰もが傷を負っています。
石神地区のその人も、郷土に伝わるこの踊りで崩れそうな気持ちを、
持ちこたえているのかもしれません。
にこやかなみんなの笑顔の中で、ただ一人硬い表情で口を
“へ”の字に結んでいた人を思い浮かべながら、そう思いました。
郷土の踊りを離れた地方の人に届けながら、
南相馬の今を伝えようとする ♪相馬流山♪ 連の人たちの
「岡山出前」が成功するようにと願いました。

◉第4集会所
●集会所の管理
各集会所には、社恊が委託した派遣会社からの管理人が2人います。
六角支援隊や私が、そこでヘアーサロンや落語会など何か催しをする時には、
仮設住宅の自治会長さんに話を通し、
集会所の管理の方に協力をお願いして実施するのです。
管理をする人の人柄や2人の仲が、
その仮設に住む人たちの気分やボランティアの活動に影響することもあります。

小池第3仮設の星見さんと山本さんは仲が良く
、気持ちがいい方達で、仮設のみなさんともとてもいい関係を作っています。
でも中には管理をする人の評判が悪い所もあって、
そこではボランティアの催しもやりにくいことがあります。
牛越仮設住宅の第4集会所は初めて訪ねたところですが、
HさんとKさんのお二人はとても気持ちよく応対して下さり、親切な方達でした。

●「二人は先生」
ここは小高区の人たちが集まっている仮設住宅で、ほとんどが高齢者です。
第4集会所に集まっていた8人は最高齢者が94歳、
他の人も一人を除いて80代の方ばかりで、一番若い方が72歳でした。
おじいちゃんも二人居て、二人とも92歳でした。
輪に並べた12脚の椅子にHさんKさんを正面にして8人が腰掛け、
京子さんと私は空いている椅子を勧められました。
みんな1本のタオルの端を両手で掴み、
HさんとKさんの指導で腰掛けたままタオルを使っての体操をしていました。
右足の裏をタオルに載せて「一、二、三、四…」、
今度は左足を載せて「一、二、三、四…」
次は曲げた足の右膝をタオルで支えて「一、二、三、四…」、
次は左膝で…。
背中ゴシゴシなど、タオルを使っての体操が済んだら、歌の時間です。

HさんKさんが、A4の紙にプリントした絵入りの歌詞を配ります。
♪幸せなら手を叩こう♪です。
手を叩こうで両手を叩き、足鳴らそうで足踏みし、
というように動作が書かれていて、
Hさんが歌いながら動作をするようにと説明をしました。
「大きな字で書いてあるから、老眼鏡がなくても読めるでしょう」と、
みんなを笑わせながら。

京子さんも私も、みなさんと一緒にタオル体操をし、歌いました。
歌が終わると「さぁ、今日のゲームはじゃんけんです」と、Hさんが言います。
このじゃんけんが、とても良かったのです。
二人で向かい合いじゃんけんをするのですが、
「じゃんけんぽん」で出すのは
グー、チョキ、パーではなく両手の指を相手に見えるように
好きな数だけ開いて出し、二人の出した指の数を暗算で合計して口で言うのです。
正しい数を早く言った方が勝ち、というゲームです。

最初はルールを吞み込めない人も居たのですが、
みんなで一斉にせずに、みんなが見守る中で一組ずつで勝負するうちに
吞み込めてきました。
それぞれの組で3本勝負。
みんなの勝負が終わって、最後は京子さんと私が、
みなさんの前で勝負したのでした。

●ここでの一日
ゲームが終わって、みなさんからお話を伺いました。
誰もが避難所を数カ所転々と変わった後で、
ここに入居したのでした。
「東京に避難してた時、献血所があったので行ったら
『福島の人の献血はお断りします』って言われて、
あの時は本当に悲しかった」と言ったのは72歳の方でした。
「私たちはこの先生たちのお陰で、毎日楽しく過ごしてます」と一人が言うと、
みなさん頷いていました。
ある方は「ここでの一日をお話しましょうか」と言って、
話してくれました。
「朝10時にここに集まって、先生と一緒に体操して、
そこに紙が貼ってある歌(♪早霧消ゆる港への…♪が書いてありました)を歌って、
ここの集会所の歌も歌って、それからゲームをして、
12時になったら一度家に戻ってお昼を食べて、
2時にまたここに来て体操して歌ってゲームして、毎日楽しく過ごしてます」

私が「え?集会所の歌もあるんですか?」と驚いて訊ねると、
Hさんが前任者がみんなが知っている歌の歌詞を変えて作った歌だと教えてくれました。
また、「ここに来たとき息子が、
『母ちゃん、体動かさないとダメだぞ』って言って、
ラジオ体操録音したのを持ってきてくれたの。
自分一人でやるのもなんだから、一緒にやろうって誘って、
ここで朝やりたい人たちが集まってラジオ体操やってんだ」という人も居ました。
集会所に来ない時にはどうしているのかお聞きすると、
「食べて、寝て、食べて寝てなの」と一人が言うので、
「あらら、食っちゃ寝、食っちゃ寝ですか?」と聞くと、
みなさん頷いて「んだな」と、答えが返りました。

●二人の”先生”は
4時になって、おばあちゃんおじいちゃんはは、
それぞれ帰って行きました。
HさんとKさんにタオル体操やゲームはお二人が考えるのですかと訊ねると、
前任者から引き継いだものもあるし、
自分たちで考えることもあると答えが返りました。
HさんKさんの答からも、またさっきまでのみなさんの話を聞いても、
本当にお二人は集会所の管理人というより、
高齢者施設の先生のように思えました。
高齢者施設では職員が幼児に使うような言葉遣いをすることが
問題視されたりしますが、HさんKさんの言葉は
集まったみなさんの尊厳を傷つけない言葉使いでした。

Hさんが「渡辺さんが最後にああ言ってくれたから…」と言って泣き出し
「私たち二人とも、息子が東電に勤めています」と
涙を拭いながら話してくれました。
みなさんとの話の最後に私は、
東電の社員がボランティアで
小高区の瓦礫の片付けや住民の家のお掃除をやっている話をしたのです。
「親として、辛いです。
息子は、事故の処理は自分たちがしなければいけないと言って
出かけますが、心配です」
「辛いですね」と言って、二人と一緒に私も泣きました。 

いちえ

a:1074 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 4.85
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional